地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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宮脇遺跡現地説明会⑤

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 今年も、遺物は展示されたが、特に説明はなかった。
 出土した瓦が、梁川の茶臼山西遺跡瓦と同じ文様であることが大切であることには変わりない。
 再確認しておくと、茶臼山西遺跡は、東昌寺跡と考えられていることであり、この東昌寺というのは伊達氏が創建した寺院の中でも室町時代には筆頭の寺院だったということだ。


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 そして、この文様が、京都の鹿苑寺の瓦の影響が見られ、伊達氏の強い京都志向との関連が想像できるという事だ。
 今年は、この茶臼山西遺跡は先に訪ねて、東昌寺跡は梁川高校校庭辺りであることを確かめ、その周りも観察していることで、実感の伴う情報としてつながっている。


 整理し残したことをメモしておく。
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 これは、仏堂の基壇跡でもあり、この東側に池が存在したというその縁の部分でもあるが、ここに建物が焼けた後の瓦などを整理した跡もあるということだ。焼跡の整理という生々しい人の動きや体温を感じる。


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 これが、東南角から基壇を含む仏堂の全体が想像できる位置だが、この写真の左手奥の黒い層も、焼跡の後始末をした時の層だろうとのことだ。


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 シートが被されていたあたりは、仏堂の北東角辺りだ。説明はなかったが、平成19年度に確認できなかった辺りのようだ。


 本年度の発掘された状況を整理すると二つの礎石建物が確認され、仏堂の東側には池が現れ、南側に庭があり、そして廻廊と思われる建物の柱跡が出てきたということのようだ。
 総瓦葺きの屋根が焼けおちたとされるが、その焼けた建物を整理された層も検出されたようだということも付け加えておく。





「福島民報」の記事が伝える遺跡概要
霊山寺跡とみられる宮脇遺跡
建物跡囲む溝と石組発見
本堂など主要施設の可能性

 南北朝動乱で焼失し室町時代に再建された霊山寺跡とみられる宮脇遺跡(伊達市霊山町大石字宮脇)で、礎石建物跡を取り囲むような施設が見つかった。
 敷地が区画されていること等も含めて、この礎石建物跡を本堂などの主要施設である可能性が高まった。
平成19年の調査で建物跡から大量の瓦が見つかり、当時としては珍しい総瓦葺きの建物だったとされていた。今回の調査で、建物跡の南側と東側を囲む掘割のような溝と石組が見つかって、主要施設と推定できる資料がそろった。
 また、池のような跡も見つかっており、さらに規模などの調査を進める。
 市教委は、遺構の国指定を目指し、今夏から礎石建物跡の性格や規模などの確認を目的に発掘を進めてきた。
by shingen1948 | 2009-12-21 05:41 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)