宮脇遺跡現地説明会④
2009年 12月 20日
それは、権威の象徴として庭園の存在を意味づけるという事の他に、ここの瓦の文様が、京都の鹿苑寺の影響を受けていると考えられているということと関わっているような気がする。
鹿苑寺といえば、誰しもが金閣寺を中心とした庭園が頭に浮かぶ。金閣を水面に映す鏡湖池や、大名が競って寄進したという奇岩、名石を配した名勝地だ。これに方丈庭園、書院庭園を含んだ雄大な庭園景観が、その特色だからだ。
この宮脇遺跡とのかかわり方は、ここの仏堂は、総瓦葺きだが、その瓦の文様が梁川の東昌寺の軒平瓦と同じだったということだ。そして、この東昌寺は、伊達氏にとっては重要な寺であり、その寺の瓦の文様が、京都の鹿苑寺の影響を受けていると考えられているということだ。
これは、基壇の石組施設を北側からとらえているが、このラインが仏堂の東端のラインということにもなる。そして、この東側(写真では左側)が池になっているらしいということだ。
池を中心にした庭園は、先の発掘調査図の黒く塗られた部分に広がっていると考えられているようだ。
これは、東側の基壇が確認された辺りを東西に掘られた溝を東側から見ている。
この手前(東側)は深く掘られているが、これは池の深さまで掘り進めたとのことだ。その向こう側には、大量の瓦が埋められていて、その状態を確認するために、現時点では残されているということのようだ。
このあたりが、基壇の南端のラインだろうか。その南側は砂地が検出され始めるということらしい。庭園の広がりを意味するのだろうか。
基壇の方向から、池の方向を見ている。今後、この池を中心にした庭について確認していくらしい。
この仏堂の建物は東向きだったことが想定されているようなので、こちらの方向が、表というになるのだろうか。