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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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宮脇遺跡の現地説明会

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 12日に宮脇遺跡の現地説明会があったので、出かけてみた。
 昨年度もこの宮脇遺跡の現地説明会に参加したので、その概要を先に確認しておく。
 この宮脇遺跡は、今まで不明だった南北朝の動乱で焼失し室町時代に再建された霊山寺跡であろうということで地元では大きな話題になった。

 昨年発掘されたのは「庫裏(くり)」など生活に関連する施設の礎石建物跡が中心だった。
 この建物は、南北に三間(約6メートル)、東西に五間から六間(約10メートルから約12メートル)の建物だった。雨落ち溝などの石列なども発見された。さらに瓦や碗(わん)、香炉などの青磁、茶を沸かす風炉なども出土していた。
 この事については、「霊山町「宮脇遺跡」発掘調査現地説明会」で、その概要を整理した。
 次に、「霊山町「宮脇遺跡」発掘調査説明会②~礎石建物跡」で、昨年発掘された礎石建物跡そのものについて整理した。
 更に、「霊山町「宮脇遺跡」発掘調査説明会③~出土瓦」で、伊達氏とこの霊山寺とのかかわりについて整理した。
 茶臼山西遺跡瓦と同じ文様であることや、茶臼山西遺跡は、東昌寺跡と考えられていること。そして、この東昌寺というのは伊達氏が創建した寺院の中でも室町時代には筆頭の寺院だったということ。この文様は、京都の鹿苑寺の瓦の影響が考えられること。それらのことについて整理した。
 これらのことから、この宮脇遺跡が、伊達氏とのかかわりを示唆していると考えられることや、伊達氏は、強い京都志向を持っていたことが想像できるという事が確認できるということだ。

 発掘についての説明のほかに、昨年はこの寺から持ち出された御本尊が、千葉県で発見されていたということで、その事についても説明があり、「霊山史談」という雑誌が復刊したことから、その事についても整理した。
霊山町「宮脇遺跡」発掘調査説明会④~本尊の発見」では、この御本尊の阿弥陀如来の行方について整理した。
 「霊山町「宮脇遺跡」発掘調査説明会⑤~「霊山史談」」では、この霊山を中心とした天台の教団が、会津を拠点とする徳一の「法相教団」に対峙していたのではないかとする方々の意見を整理した。

 本年度の発掘はその3年次目ということで、どんな成果かあったのか楽しみだった。
by shingen1948 | 2009-12-17 05:32 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)