地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大塚古墳

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 菅野八郎氏の故郷金原田から、県道を大泉駅に向かう途中、旧亀岡邸宅のある公園の東側に、この大塚古墳がある。これは、大塚古墳群の中心の古墳で、直径40m以上の7世紀頃の保原町で最も大きい円墳と考えられているようだ。


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 これは、その大塚古墳を東南の方向から見たところだが、墳頂には熊野神社が建っている。
 マホロンの検索画面で確認すると、この開発道路沿いに大塚古墳群が検出され、この東側には、大塚A古墳・大塚B古墳が検出される。
 周囲にも数個の古墳があったようだが、土地の開発でなくなったという経緯のようだ。


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 近くには、今も化粧塚と呼ばれる一基の古墳が残る。
 側に建つ案内板では、大塚古墳と共に、後半で化粧塚についても説明される。
 古墳の存在に加えて、その後の南北朝時代の伝説が付加されているということだ。


 大塚古墳
 所在地 保原町大字大泉字大塚27番地
 大塚古墳は円墳と考えられている。直径約40m、高さ約4mあり、保原町で確認されている古墳の中では最大規模である。築造年代は不明であるが、7世紀頃と考えられている。平地に築かれている古墳は開発のため早い時期に消滅している例が多く、大塚古墳をはじめ、野崎観音塚古墳、前山古墳、愛宕塚古墳などの 古墳が保原町に集中して残っているのは大変珍しく、貴重である。
 埋葬されている人物は大和政権に認知されてこの地方を治めていた有力土豪の一人と思われる。室町時代の文書にも大塚の地名があり、「大きな塚のある村」としてこの地方で有名であったので、村名となって残ったと考えられる。墳丘上に熊野神社が祀られている。古墳の南約20mには化粧塚と呼ばれる塚がある。南北朝時代に陸奥守北畠顕家(一時霊山居城)に仕えた侍女たちが、顕家の戦死を悲しみ、持っていた化粧品を埋めて供養したと伝えられる。
 平成15年4月
 保原町教育委員会

 この大塚古墳について確認していたら、高子20境の龍背巌も古墳とされていることが分かった。ここは、首塚とのかかわりで整理したのだが、ここ自体も史跡のようだ。案内板にはないが、内山古墳らしいということのようだ。

 先に整理した「新山古墳群」もこの近くだ。というより菅野八郎氏の故郷金原田の近くだ。この古墳が、今も別に案内されているのは、今までの行政区が違っていたためだろうか。
 このあたり、7世紀ごろはこういった円墳群が広がっていたというように、その時代に溶け込んでみるには、人工的な行政区で分けない方が似合うのかもしれない。
by shingen1948 | 2009-12-15 05:02 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)