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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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菅野八郎:攘夷運動のかかわり(補足)

 菅野八郎自刻の碑のある山は、吾妻山というらしい。
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 この山からは、共同墓地の山が見える。情報として「大宝軒椿山八老居士」と刻まれた彼の墓は、西の山にあるということだったが、それは村の共同墓地に眠るということだったということらしい。
 大きな視野でみると、菅野八郎自刻の碑のある吾妻山は、共同墓地の東の高台であり、精神的な羽山としての役割を担っていたのではないのだろうかと思う。


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 しかも、その羽山からは、村々が見渡せ、更には伊達の地が見渡せ、そして、吾妻山が拝めるということだ。


 この墓地にこのまま回り込めないかと思って、奥へ進んでみる。
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 すると西の方に進む道があり、その道を更に進んでみると、少し険しいが、共同墓地に降りる道がある。


 その坂を下りてみる。
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 そこに氏の墓は見つけられなかったが、顕彰碑があった。「菅野八…」の文字が見える。多分、菅野八郎にかかわるものだと思う。


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 これが、墓地から下る途中から見える自刻のある吾妻山だ。
 この村の景色を確認し直しながら、情報を少し整理する。
 「幕末の攘夷運動家太宰清右衛門天達の墓(仙林寺)」で整理したように、太宰清右衛門氏の妻が、菅野八郎氏の後妻ヤノの妹であり、その妻が若くして死んだのを機会に保原の店を弟に譲り渡して、江戸に開いた支店の店長になっていたはずだ。
 松陰は、先に整理した水戸藩の太宰清右衛門氏と、菅野八郎氏が縁者であることを知っているらしいことが、8月13日の久保清太郎・久坂玄瑞宛書簡で分かるという。

 興味があるのは、菅野八郎氏逮捕の様子が少し詳しく分かることだ。
 その手紙には、太宰清右衛門氏の妾セイも隣房の女獄にいるとあり、太宰清右衛門氏は逃げ切ったものの、義理の兄・江戸で一緒にいた妾セイ、そして下僕の頼助が捕えられたらしいことが分かる。
 江戸から奥州金原田村の自宅まで幕吏が八郎を捕らえに来たとのことだが、その数30人とセイが話しているらしいことが分かるらしい。
 大がかりな逮捕劇だったようだなと思う。
 
by shingen1948 | 2009-12-14 06:15 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)