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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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民衆思想家菅野八郎氏の生家を訪ねる

 保原の散歩で、幕末の攘夷運動家太宰清右衛門天達の墓(仙林寺)に出会った
 その関わりで、民衆思想家菅野八郎氏について確認していて、その師熊坂氏の高子20境にかかわって上保原あたりを散策したところだが、民衆思想家菅野八郎氏に戻って散歩を続ける。

 氏にかかわる散歩の興味は、生家の前山に「留此而祈直」と自ら彫った岩があるということだ。また、西の丘には「大宝軒椿山八老居士」と刻まれた彼の墓があると聞く。
 そのためには、まずその菅野八郎氏の生家を確認することだ。
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 氏は、「金原田村」出身ということなので、とりあえずここをめざすが、この村は、先に梁川をたずねたときに確認した東根堰と県道の交差点あたりだ。
 今は東根堰が南から北に向かって豊かな水量で流れているが、昔は砂子堰の端っこで、ちょろちょろと北から南に向かって流れていたのだろうか。


 適当に細道に入り込んで、まずは菅野八郎氏の生家の目星をつけるつもりだ。
 情報を整理すると、生家の南側には山があって、その山頂には自刻碑がある。更に、西手にも山があって、そこには墓があるはず。
 そんなイメージにぴったりする景色を見つければいい。そこを、菅野八郎氏の生家と推定して、想定した山に目指すものがあれば、逆に推定したことが正解になるということだ。
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 細道を一本ずつ確認していくつもりだったが、探し始めると直ぐに菅野八郎生家跡の標柱に出会った。
 目星がついたところで、その日は戻って、残りの確かめは次の日にということにした。


 情報元を見失ったが、菅野八郎と吉田松陰の関わりについての情報を見つけたので整理しておく。

 吉田松陰の安政6年堀江克之助あて書簡に、「きのう評定所で取り調べを受けたのは、自分と八郎、せいまでだった」とあるらしい。
 これで、伝馬町の牢で菅野八郎と吉田松陰が一緒だったことが分かるということだ。
 これは、義理の弟太宰清右衛門の事件に連座して捕縛されて、前の年の12月から八郎は入牢していたという事情との重なりのようだ。
 このことについては、先に太宰清右衛門の事情から整理した。日本史という視野から見ると、安政5年8月、諸外国との修好通商条約締結に対して、孝明天皇が不満を述べた勅諚をひそかに水戸藩に下したことで、安政の大獄の直接的なきっかけとなった事件ということになるようだ。
 その水戸藩士である太宰清右衛門の家が捜索されたということだ。
 ここに、太宰清右衛門は菅野八郎の義理の弟で、お祝いの手紙を出したということがつながる。その手紙の内容が幕政を批判することが記されていたということだ。菅野八郎の深い教養が災いを招くのだ。
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 幕吏がわざわざ奥州金原田村のこの自宅まで八郎を捕らえにきたということだ。
 ここは、昔も片田舎の静かな村であったろうから、このことは村中びっくり仰天の出来事だったろうと想像する。今の感覚なら異国のような所とのつながる重要な出来事とかかわるおらが村の菅野八郎というイメージだろうか。
 これが、「信達世直し一揆」の8年前の出来事ということだ。
Commented by letterstand at 2009-12-12 09:31
はじめまして。
「手紙」と「言葉」のギャラリーを
東京 表参道のこどもの城の近くではじめました。
もしご興味ございましたらご覧ください。
よろしくお願いいたします。
コメント欄より失礼いたしました。
(ページリンクさせていただいてもよろしいですか?)

LETTER STAND
by shingen1948 | 2009-12-12 05:16 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(1)