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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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高子20境と史跡

 高子20境の案内板に紹介されない史跡と出会った。
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 上保原から堰沿いに福島に戻ろうとしたら、淡島神社があったので、その案内板を眺めていたら、「この奥の景色がいいですよ」と声を掛けられた。


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 確かに、神社の南側に奥へ向かう石段があって、「名勝:岩谷山の霊窟」の案内標柱が建っている。


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 その石段を登っていくと、溶岩の中に、社が祀られている景色が現れた。
 確かに趣のあるいい景色だ。

 ここに、高子20境「白雲洞」の標柱があった。


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 後で確認したら、岩谷山の霊窟は、史跡とは紹介されてはいないが、7世紀頃の祭祀遺跡と考えられているという。
 この岩谷遺跡の岩穴に祀られているのは薬師や観音とのことだ。付近からは丸玉などが出土しているという。
 これに、淡島神社由来の案内に書かれていることを組み合わせて考えれば、もともとは、この淡島神社とも習合した原始的な宗教観を漂わせていたのではないのだろうか想像できる。
 案内板によれば、明治9年7月に神仏分離によって、淡島神宮と薬師堂の境内地を分割し、明治12年に村社の社格をうけたという。例によって、維新政府の政策によるものだ。それまでは一体化していたようなのだ。


 考えてみると、高子20境「高子陂」である高子沼も案内されてはいないが、いろいろな伝説は聞く。
 沼の底から鉱石砕や石臼などが出土して、金鉱石精練所跡とも見られているとも聞く。そのことを伊達政宗が豊臣秀吉から隠すために沼にしたという伝説もあるとも聞く。

 高子20境は、史跡と重なるという楽しみだけでなく、その季節によって見事な景色が見える箇所もありそうだ。特に、春には見頃な所が多そうだと思うので、再訪したいと思う。
 ただ、この20境は、正確な場所が特定できない個所もあるとも聞くし、意図的に改変された箇所もあるらしいとも聞く。






 案内板説明内容
 淡島神社の由来
 上保原字小在山に鎮座す淡島神社の御祭神は少彦名命であります。この神様は大国主命と共に出雲の国において国土経営にあたられ、特に医療の法を教えられたことから、家内安全、身体の健康、成長、病気平癒、造酒の神様として、また淡島様とは、栗の栽培が上手であられたことからでた名で、五穀豊穣の神様として信仰されております。
 当社は、慶長16年8月(370年程前)法印境宥教という人が薬師如来様と共にこの地に奉祀したものといわれております。
 その後つまびらかでない期間がありましたが、明治9年7月、神仏分離により、淡島神宮と薬師堂の境内地を分割、つづいて明治12年10月村社の社格をうけ、昭和25年6月には官地の無償譲与をうけ境内地とするなど、この間、社殿の造営、維持管理、神徳の高揚に上保原の氏子はもちろん、近郷近在の人々の尊崇をあつめ、社頭は年々にぎわっております。
 昭和59年4月建立
 淡島神社宮司 ○○○○
 奉賛会一同

by shingen1948 | 2009-12-11 05:38 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)