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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

高子20境「禹父山」と史跡「大鳥城」

 案内板で確認する中では、史跡と重なる高子20境は、3つのようだ。
 史跡「高子館」と重なる「白雲館」と家屋である「明月楼」であり、史跡首塚と同じ丘にある「龍背巌」であり、そして、史跡「大鳥城」と重なる「禹父山」。
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 史跡「大鳥城」と重なる「禹父山」をめざして、なだらかな坂道を南に向かうと、池が見えてくる。
 これは、その池を過ぎて振り返ったところだ。古くはこのあたりも東根郷であり、耕地開発にはこのような堤に蓄えた水を活用していたのだろう。


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 その池の南側から東に向かって坂道を登ると、


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 左手の山道に導かれる。
 そこが、「禹父山」とのことだが、「大鳥城三の丸」という案内もある。


 禹父山
 大鳥城は南北朝時代から戦国時代の城と思われるが、城主は明らかではない。
 本丸は東西100m、南北50mあり、かつては高さ3mの土塁が一周していた。
 天然の沢を外堀として利用しており、大変堅固な城であり、保原地方を押さえる重要な城であった。
 字禹父山は、本丸の西下にあり、大鳥城三の丸に位置する。

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 ここからは、先ほどの沼越しに上保原の里の景色が見渡せる。眺めはいいが、ここは大鳥城三の丸で、本丸の西下の位置だという。


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 それなら、この坂道を登って、この東側の高台に本丸と二の丸があるはずだ。

 
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 この丘は、東西に延びた高台になっている。
 ここは、東側縁の辺りだ。東側からの上り道を確かめて、そこからもう一度戻りなおしてみる。


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 いろいろな高低差があるが、外観的には東側より西側に向けてだんだん高くなっていくという地形のようだ。


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 その頂が、藪になっているのだが、その手前の平場は、果樹園のようだ。この辺りが、本丸から二の丸にかけての平場だと想定しているのだろうか。

 確かに山城と言われればそのような気もするが、よく分からなかった。


 もう一度上保原駅前駅前の案内地図を確認してみたが、それ以上のことは分からなかった。
 家に戻って、情報を確認しようとするがみつからない。どこか消化不良気味の感じではある。
by shingen1948 | 2009-12-10 10:22 | Comments(0)