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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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保原薬師堂

 保原町の公民館前案内板で案内されているのは、保原薬師堂だけだ。
 実際に行ってみると、そこに建つ案内板で、保原町指定有形文化財の第1号とある。
保原薬師堂_a0087378_555340.jpg 
 この薬師堂について、保原町文化財保存会建立の標柱では、保原薬師堂は霊山寺本尊薬師瑠璃光(るりこう)如来の分霊を祀ったものであり、現在の薬師堂は文化4年(1807)に再建されたと紹介する。
 そして、その造りを「四間四面の唐様宝形二重垂木造りで、重厚な向拝の下にある龍や象などの彫刻が特にすばらしく、柱間は正面のみ中央が2間にとり、その両側を1間2分半とし、他の3面はすべて1間半にとっています。」とする。確かに、向拝にある彫刻が重厚さを感じさせる。

 堂宇脇の保原町教育委員会の案内板では、「保原町城ノ内観音堂の開基ならび由緒については古い伝説が残されているが現存の堂宇は文化4年(1807)長谷寺第19世宥辧法印代に再建されたもので真言宗長谷寺の境外仏堂で、三間四面廻廊つき銅板葺・宝形造りである」とする。

 保原薬師堂案内では、本尊のいい伝えについて、弘法太師、空海上人の一刀三礼の作による秘佛ともいわれていると紹介し、堂宇の正面彫刻について、文化5年最上(山形県)の天童早川源太郎氏の作、仁王像は、保原町上中瀬旧宍戸儀左衛門氏宅のえぐね松材使用と紹介する。


保原薬師堂_a0087378_592011.jpg
 山門については、堂宇脇の保原町教育委員会が建てた案内板で、次のように説明している。

 山門(仁王門)文政7年(1824)長谷寺第20世宥充法印代の再建で、本尊・脇仏・12神将は、旧中村佐藤九兵衛、仁王像は、旧中瀬村宍戸儀左衛門の寄進と伝えられている。

 その案内板で、12神将を写真で紹介している。
 仁王門と共に、本尊薬師如来像、日光菩薩、月光菩薩、十二神将、仁王像なども含めて17体が市指定文化財となっているとのことだ。また、本堂には立派な絵馬が多数奉納されているとのこと。
 保原町指定有形文化財第一号
 一 建造物 薬師堂 堂宇及び山門
 一 美術工芸品
    薬師瑠璃光如来像、日光菩薩像、月光菩薩像、十二神将立像、仁王像
 一 所有者
    保原町字五丁目三十番地 長谷寺
 一 指定月日
    昭和60年11月29日
 保原町城ノ内観音堂の開基ならび由緒については古い伝説が残されているが現存の堂宇は文化4年(1807)長谷寺第19世宥辧法印代に再建されたもので真言宗長谷寺の境外仏堂で、三間四面廻廊つき銅板葺・宝形造りである。
保原薬師堂_a0087378_5142861.jpg

 山門(仁王門)は、文政7年(1824)長谷寺第20世宥充法印代の再建で、本尊・脇仏・12神将は、旧中村佐藤九兵衛、仁王像は、旧中瀬村宍戸儀左衛門の寄進と伝えられている。
保原薬師堂_a0087378_5163547.jpg

 昭和62年
 保原町教育委員会

by shingen1948 | 2009-12-07 05:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)