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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊坂適山・蘭斎合作画碑

a0087378_4364675.jpg 仙林寺の楼門をくぐると、画碑が建っていて、その脇の案内板で解説する。
 それによると、熊坂適山・蘭斎合作の画碑とのことだ。
 これは、その案内板に言う「竹石画碑」だろうか。


a0087378_4391872.jpg 
 適山という方を案内板から読み取ると、蠣崎波響・浦上春琴・田能村竹田に師事し、松前藩士となった保原生まれの南画家とのことだ。熊坂蘭斎はその弟で、松前藩医とのことだ。
 梁川が松前藩の時代に、当地の熊坂兄弟がそのお抱え絵師とお抱え医師になったという方の画碑ということのようだ。
 これは、その案内板に言う「梅月画碑」だろうか。


a0087378_442574.jpg
 これは、その案内板に言う「蘭石画碑」だろうか。
 画碑そのものは確認しなかったが、長谷寺の門前にもこの方の境内にあるという案内があった。
 保原町指定文化財
 熊坂適山・蘭斎合作画碑
 竹石画碑 一基
 梅月画碑 一基
 蘭石画碑 一基
 指定番号 絵第1号
 指 定 日  平成4年2月1日
 所 在 地  保原町字東台後50番地
 所 有 者  仙林寺
 適山は寛政8年(1796)7月市柳村(現保原町一丁目)に生まれた。適山は少年のころ松前氏梁川藩の家老蛎崎(かきざき)波響(はきょう)(当時文人画家として高名であった)に師事して画を学んだと言われる。その後は京都の浦上春琴や九州の田能村竹田に就き南画の研鑚に励み、晩年は北海道松前藩のお抱え絵師に召抱えられた。
 蘭斎は、2歳年下の弟で、蘭方医学を修め、絵画もよくした。蘭斎も召されて松前藩医となった。適山は元治元年(1864)に死去、蘭斎は明治8年(1875)に死去。画碑は2人が存命中に製作されたと伝えられる。兄弟合作の画碑はたいへん珍しい。
 平成4年3月
 保原町教育委員会

by shingen1948 | 2009-12-06 04:47 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)