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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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八幡神社と龍寳寺

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 ここは、2007/10月に訪ねて、案内板をたよりにして「梁川八幡神社」として整理した。

 鐘楼、観音堂、三重塔跡、園地など往時の面影を長い参道の両側に残し、感じるものがあった。
 しかし、その感動までは整理されていないような気がする。

 他の用事があって、ここは立ち寄っただけという状況だったせいだろうと思う。

 「伊達市歴史ガイドブック」によると、八幡宮本殿は延享2年(1 7 4 5)9月の建立。
古くは梁川の八幡宮として信仰があり、伊達氏が入部してからは伊達市の氏神「亀岡八幡」が合祀された神社で、伊達氏の保護を受け、伊達六十六郷の惣社として威容を誇ったという。
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 先の散策でこの三重塔の礎石が整理されていない。
 この三重塔は、平泉藤原秀衡の建立の伝えがあるという。


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ついでに、今回案内板を読んで、この辺りが流鏑馬広場だというのが分かったので、ここにその写真を貼り付けておく。


 先の歴史ガイドブックでは、神官についても触れている。
 八幡宮神主は菅野氏で、伊達氏に従って伊達郡に入部したとされているという。菅野氏は先に訪ねた梁川天神社の神官も兼務で、屋敷は梁川の町中にあったとのことだ。
 伊達氏入部以前からの神主宮大夫は、八幡社境内に屋敷があったとのこと。宮大夫の上に神官菅野氏が置かれたため、宮大夫には長年のわだかまりがあったという裏事情も紹介する。
 その宮大夫は、伊達氏が去った後の慶長7年(1 6 0 2)亀岡八幡のご神体を密かに持出し仙台へ移って、仙台亀岡に亀岡八幡宮を建立してもらったと紹介する。


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 この八幡社の別当寺は、この龍宝寺とのことだが、別当寺についても経緯があるようだ。

 江戸期には亀岡寺であり、それ以前の室町期の別当は光明院であったと伝えられているという。
 龍宝寺についても、梁川城東にあったという龍宝寺とのかかわり、米沢の龍宝寺とのかかわり等、複雑な関係性があるようだがよく分からない。

 その龍宝寺(旧亀岡寺)の山門と鐘楼は茅葺で趣がある。
梁川町文化財指定第25号
 龍寳寺山門
 内容
 「薬医門」形式の萱葺山門で、屋根は切妻のあずま風のふくらみのある「むくり屋根」である。建立は近世期と推定される。
 指定年月日昭和62年5月30日
 管理者龍寳寺
 梁川町教育委員会

 なお、ここの観音堂は、信夫33観音の33番目の満願の寺のようだ。
 この観音堂は文明3年(1 4 7 1)伊達成宗が再建したが、文明5年4月大風で倒壊、文明5年1 1月に材木取り集め、再建したと伝えられているらしい。現在の観音堂は享保3年(1 7 1 8)の建立という。

 こちらの鐘楼は、先にも写真を張り付けているが、山門とセットということで、新たに張り付けておく。
梁川町文化財指定第26号
 鐘 楼
a0087378_5195279.jpg 内容
 重閣入母式造りの萱葺の鐘楼で、江戸中期建立とみられる。統治法の鐘楼建築の先例であり、貴重なものである。
 管理者龍寳寺
 梁川町教育委員会

Commented by Pooh3 Kampf Gru at 2009-11-27 12:32 x
こんにちはぁ プーだよおおうだっ

プーも 10月に ここに来たんだよおおう

一緒ですねぇ ぷー

http://blog.goo.ne.jp/chisato-pooh/e/b7b31fe2a1618b5b66dfe6821148d605


Commented by shingen1948 at 2009-11-28 16:14
10月末から梁川保原あたりにをうろつき始めていました。
ちょっとのずれで、同じところを散策していたようですね。
by shingen1948 | 2009-11-27 05:31 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(2)