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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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梁川城の大手は?

 梁川城の東側の道を進む。
 詰めの城だろうと言われている茶臼山を過ぎ、東昌寺跡と言われる梁川高校グランド、伊達氏からみれば常栄寺跡、上杉氏からみれば興国寺の旧地であり、茶臼山北遺跡侍屋敷である梁川中学校を通る。
 鈴木氏の地図では、上杉氏時代の大手道がこの屋敷跡から二の丸に延びるように描かれている。(ただし、本丸の北側に上杉氏時代の大手門とする脇に建つ案内板では、この時代の大手道は西側からと説明している。)
 これらは、先にも整理した景色なのだが、進んできた方向が違い、想いが違うとので別の景色にも見える。
a0087378_555629.jpg
 ここが、梁川城の三の丸の東側からみたところだ。
 安田氏の地図にはないが、鈴木氏の地図では、この駐車場辺りに馬出の土塁を想像しているようだ。
 多分、上杉氏の改修であることを考慮して、上杉氏ならという想定が働いていると思われる。


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 これは、先に三の丸を訪ねたときに、土塁の上から撮ったものだ。(梁川城⑥~「天地人の時」を中心に②) 伊達氏時代の大手口だとする案内板が建っていた桝形の土塁に囲まれた大手虎口から続く道が、堀に突き当たるところだ。堀には拮橋がかかっていたということだろうか。
 この写真と先の写真の位置関係を確かめるのには、民家を目印にするといい。


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 この東側に続く平場は、現況はただの水田でしかないが、鈴木氏が曲輪とし、安田氏は南町館とする。いずれにしても、城の一部という想定のようだ。


 このまま梁川八幡宮を目標に北に進んでみる。
 「ふくしまの城」によると、天神町を越して上町になるあたりが城下町であり、そこから亀岡八幡神社へむかって、松並木の長い参道が続いていたと考えているようだ。
by shingen1948 | 2009-11-24 05:27 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)