地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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梁川城⑤~「天地人の時」を中心に

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 このラインが、本丸東側土塁の外側で、内堀跡ということになるのだろうか。心字池の裏側を過ぎたあたりに、浅間神社が建っている。


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 土塁の内側のラインを確かめる。これが心字池の庭園の石積みに続く。


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 この本丸は、慶長初年の上杉時代に、方形に近く改修しているとみられているらしいが、ここもその土塁の上にあたるのだろう。

 案内板では、梁川城築城時に、心字池庭園とのかかわりで祀られたと主張する。


 浅間神社由来
 鎮座地 伊達郡梁川町字鶴ケ岡63番地
 神社名 浅間神社
 御祭神 木花開耶姫命
 祭礼日 4月20日(春祭)旧6月1日(夏祭)
 由緒
 天和3年(1683)の棟札によれば、本神社は伊達氏の祖伊達朝宗公の創建である。文治年中(1185~90)朝宗公が鶴ケ岡に梁川城を築いた時、城中の池の滝頭に宮社を建て、城中鎮護の神として富士権現を祀った。富士権現は浅間神社の旧称である。
 江戸時代になると本神社は、蒲生氏、上杉氏などの領主に庇護されてきたが、明暦2年(1658)に梁川城代須田秀満、また天和3年には山田喜右衛門尉が社殿を修営している。山田氏はそのときに前記の由来を記した棟札を納めた。
 明治に入り城跡本丸は町の公園になっていたが、明治33年に梁川小学校が建って地域の人々から学校の神社として崇敬されてきた。
 昭和46年小学校体育館校舎改築整備により西向きであった拝殿を南面に改築、参道を東側に移し、遷宮祭を行った。
 行事 昭和初期までは、夏祭りに境内で田草相撲が催されてきた。天神社祭礼には、山車を氏子若連が出している。
 昭和62年4月20日
 浅間神社氏子会

 この由来の明暦2年(1658)の修繕者である梁川城代須田秀満は、上杉氏の家臣須田氏の梁川城代2代目だ。

 慶長3年(1598)上杉景勝が若松城主となった時に、この梁川城の2万石城代となって配された須田大炊助長義が、関ヶ原の戦いで上杉家が米沢移封になった慶長6年(1601)に6千666石に減ぜられ、元和元年(1615)に大阪冬の陣に参戦して亡くなられる。
 寛永20年(1643)に次の城代となられた方のようだ。間が空くのは、「秀満成長之間器ニ当る者を以守衛せしめらる」ということらしい。
上杉氏では、正保2年(1645)に定勝が亡くなり、その跡を継いだ綱勝が、寛文4年(1664)に亡くなるが、嗣子がなかったので減封になる。その時に、この梁川もその支配を離れ、梁川城は廃城となるのだが、そこまでの城代だ。

 梁川城の大きな改変はここでストップすると考えれば、梁川城は、この「天地人の時」構築の遺構そのものということになる。
 従って、歴史的には伊達氏と上杉氏の城の両方の観点から興味のある城だが、構築の特徴としては、近世の西の二の丸、西の三の丸の部分を除いて、この梁川城の本丸も含めて、上杉氏の特徴を残しているものと思われる。
 心字の池そばの物見櫓跡の石垣は穴太積みで、物見櫓が載る土塁は池の導水路や園地の一部を埋めているというのは、伊達氏の時代の城に、かなり大幅な城の修築があったと考えられているということもあるようだ。
 この天地人の時の梁川城にかかわる時代の概要を知るには、「梁川町郷土史年表005/028ページ」がぴったりだ。


 「天地人の時」の構築をイメージして、散策する。
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 ここは、本丸の東南部の金沢堀だが、ここも幅が広く深さも深い。これも、その時代の造成と考えられているようだ。
 左に写る線路は、阿武隈急行の線路で、手前の丘になっているところをトンネルにして真っすぐ進む。この堀を利用しているのだろうか。


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 梁川中学校の前は、トンネルを抜けた阿武隈急行が走る。
 その梁川中学校が建つあたりは、遺跡としては、侍屋敷跡から常栄寺跡にかけてのようだ。この学校の右手奥が井戸なのかな。


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 これが、梁川 高校のグランドで、東昌寺跡と考えられているらしい。そして、この右手の山が茶臼山舘で、詰めの館のようだ。
 伊達氏の遺跡に戻ってしまうが、近所なのでついでにここに張り付ける。


 もう一つついでに、先にパレオパラドキシアについて梁川のホームページにリンクしたところだが、「県立博物館のページ」に収蔵するパレオパラドキシアについて詳しく紹介されているのをみつけた。
by shingen1948 | 2009-11-10 05:13 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)