地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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舟橋北遺跡現地説明会④

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 これが8号建物跡で、単独にしかみていなかったが、他の建物との位置関係とかかわって、その計画性が読み取れるとのことだ。


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 10本の柱が一棟の建物とのことで、それを一くくりに、その建物跡をたどれば、この8号建物の南西の位置に9号建物跡が同じ方向性に並び、更に、その南側に5号の建物跡が規則性ある並び方をしている。
 それを、計画的に建築されたものとみるとのことだ。


 更に、その8号建物の変遷についても見えるとの解説にも感心する。
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 この8号建物跡の西側の並びより、一回り外がに同じような柱穴が並ぶのだが、これを、この8号建物が一回り大きな建物に改変されたと読むらしい。


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 説明会資料には、建物跡と竪穴住居跡等から、奈良平安時代の集落跡のイメージ図が示されている。
 赤で囲まれたところは建物跡のイメージで、緑で囲まれているのが、竪穴住居跡のイメージとのことだ。


 計画的に建物された建物は、倉的なものを想像するらしく、一般的な住居にあるものではないので、役場的な可能性もあるということのようだ。
 「福島民報」の記事では、「当時、静戸郷(しずりべのごう)と呼ばれた周辺地域の役所か、分庁舎のような機能を果たしていたと考えられるという。」といういい方をしている。
by shingen1948 | 2009-11-01 05:26 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)