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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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舟橋北遺跡現地説明会①

 渡利地区の散歩についは、もう少し整理しておきたいところがある。その中でも、山口村側とのつながり具合の確認はしておきたいものだとは思うが、舟橋北遺跡の現地説明会に参加したので、そのことを先に整理する。
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 今回の舟橋北遺跡の調査は、梁川駅前から西に市道が伸びるように建設されることに伴って調査されたものらしい。近所には、この南に舟橋遺蹟があり、伸ばしてつなごうとしている道の方向には東土橋遺跡があるようだ。いずれも平安から近世の遺跡と考えられているらしい。
この辺りから南側にかけても遺跡にとっては宝庫らしく、開発とどう折り合いをつけるかということでは大変そうな感じがする。
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 この舟橋北遺跡も、発掘調査前は、平安から近世の遺跡と考えられていたらしい。試掘りの結果を受けて、調査発掘をしたということのようだ。
 その成果としては、以下の三点の発見として整理されるようだ。
 ① 奈良時代以前の遺跡遺物
 ② 奈良時代以降平安時代前半までの集落跡
 ③ 鎌倉時代前期の屋敷跡
 その中でも、大きいのは、平安時代の建物跡群や鎌倉時代の屋敷跡などが見つかったということのようだ。
 平安時代の建物跡群は、建物の並び方の計画性などから、役所に関わるものと想像されているらしい。
 また、鎌倉時代の屋敷跡からは、木組みの井戸跡が見つかっている。
 遺物とのかかわりで、地元の新聞では銘のある蓋の発見を大きく報道していたが、当地の八郎窯跡の製品などが出土していることも、注目点のようだ。
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 まず、奈良時代以前の遺跡について整理する。
 ここでは、「落とし穴」が3基あったらしい。
 今回の発掘調査地点の中では、東側に位置している。赤で印をされた地点だ。これは、その中の北側のもの。


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 ここも、落ちるのを待つという感じの落とし穴だったと考えているようだ。


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 これは、井戸跡脇の落とし穴。
 この遺跡の落とし穴の深さは少し浅い感じがする。


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 遺物としてやじりも出ている。このやじりには、アスファルトが付いている。
ここで獲物を解体し、その中から出てきたものではないかとのことだ。
 想像できることは、近くの縄文集落とのかかわりやアスファルトの採れる地域との交流や交易だろうか。


 「落とし穴」という古代の遺跡にかかわる現地説明会に参加したのは、渡利地区の町頭遺跡であり、山の下遺跡についてはその中の資料で示された。それらをつないでおく。
 〇 渡利地区の町頭遺跡の縄文遺跡「落とし穴」にかかわって
   町頭遺跡現地説明会⑤
 〇 渡利地区の山下遺跡の縄文遺跡について
   町頭遺跡現地説明会④(山下遺跡の「落とし穴などの遺跡」について)
   町頭遺跡現地説明会③(含 : 山下遺跡の「縄文時代の遺物」について)
by shingen1948 | 2009-10-29 05:12 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)