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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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渡利地区の阿武隈川沿いの風景⑧

 阿武隈峡の渓谷の美しさを紹介しているのは、この上流だ。
 しかし、阿武隈峡の渓谷の風景は、黒岩あたりから始まっている。信夫発電所沿いの風景、蓬莱発電所沿いの風景も峡谷の風景として充分に美しい。
 ただ発電所ごとに道が切れてしまうので、不便さが付きまとうということだけだ。

 国指定文化財である「鮎滝渡船場跡」も紹介されているこの渓谷の風景の一つで、ここは去年の7月に訪ねて整理している。
 紹介によれば、上蓬莱橋の脇道を降りれば、鮎滝渡船場跡―鮎滝観音―村上薬師堂が散策できる散歩道が整備されているとのことだが、その案内板を見つけたのは、ここを訪ねた帰り路たった。
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 今回は、整備された散歩道は頭にあるのだが、道沿いに村上薬師堂への案内表示を見つけてしまった。
 案内表示を見つけてしまうと、衝動的にそちらに向かってしまうのは性分だ。今回もそこから向かうことにした。
 途中、鮎滝観音へ向かう入口も見つけた。散歩道とかかわるようだが、村上薬師堂に進む。
 
 道は行き止まりになっていて、そこに薬師堂が建ち、案内板が建つ。

 村上薬師堂縁起
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 南北朝時代(1340年頃)後醍醐天皇の皇子静尊法親王が、都の戦乱をさけて、北畠親房の弟源浄上人とともに霊山に向かう途中で亡くなられた。
 上人は、土地の人を頼んで遺骸を蓬莱岩の東岸に埋葬し、そこに、草庵を結び親王の冥福を祈った。
 この旨が、北畠氏を通じて吉野朝に伝えられ、後村上天皇の命を受け、薬師如来を祀った御堂を建てた。後に、源淨上人は薬師堂の法燈を継ぎ、後村上天皇の尊号をいただいて村上薬師寺と称された。(薬師寺に伝わる古文書による)
 現在の御堂は、平成2年に新築再建された。旧御堂があったのは、蓬莱岩に下がっていく途中の少し平らな場所で、そこが親王の墓所といわれている。

 阿武隈峡の渓谷案内板では、後醍醐天皇の第4皇子静尊法親王が亡くなられたのが興国元年(1340)だとする。


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薬師堂から阿武隈川を覗きこんでみると、北西の角から蓬莱岩が見える。


 薬師堂から先には進めない。また戻る。
 戻り道に、鮎滝観音への案内があったが、元気がなくなった。
 上蓬莱橋まで本道を進んでいく。
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 ここが、上蓬莱橋のたもとで、国指定史跡「鮎滝渡船場跡」も含めて阿武隈峡の渓谷を説明する案内板が建つ。


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 国道4号線をめざす。
by shingen1948 | 2009-10-27 05:10 | ◎ 水 | Comments(0)