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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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渡利地区の阿武隈川沿いの風景⑤

 鳥谷野舟橋の跡と、渡舟場跡との違いは、渡利地区側からははっきりしないが、川向かいの鳥谷野地区には、別に案内板がある。
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 ここが、鳥谷野側の渡船場跡(鳥谷野の渡し)の入り口だ。この入口には、渡しについての簡単な説明がある。
 
 この渡しは、佐藤庄司基治の平安時代より鳥谷野村で運行されていた。特に中通り地方を制圧した伊達稙宗・政宗が多く利用し、その記録が残っている。船場跡には2基の記念碑が建っている。



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 川際まで降りて行くと、渡船場跡に記念碑が建つ。その脇の船場の道記念碑には、この渡り跡についての説明が刻まれている。


 船場の道記念碑
 この道は旧川俣街道より阿武隈川を渡り大森街道となる地域の生活の道であった。今から803年前の文治2年佐藤庄司の郎党渡利猪太という者が馬と共に渡ったと伝えられる。その後今から447年前の天文11年より天文17年までの伊達天文の乱には、伊達稙宗の軍勢が幾度となく渡河したとも伝えられ、又、今から404年前の天正13年伊達政宗の軍勢が東安達に出陣し粟の須で戦死した政宗の父輝宗の遺骸を守る軍勢が天正13年10月この船場を渡河したとも伝えられる。その後戦勝して天正16年5月25日小倉寺観音様に参詣して此の船場を渡河したという。私達隣接地権者はかかる歴史のある此の船場の道を後世に伝える為に之碑を建る。
 平成元年(1989)11月吉日
 建立者 (4名の氏名記載)
 鳥谷野町会長(氏名) 書
 福島市文化保護指導員(氏名) 記
 施工 (有) 〇〇石材店



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 ここから対岸を確認すると、意味ありげな供養碑があったあたりだ。
 ここが渡舟跡ということは、渡渡利側の案内板に説明のあった、渡船場跡から100m上流ということとも一致する。


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 これは、その渡利側の供養碑。


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 この供養塔のある風景を引いてみると、これが渡利側の景色だ。この道自体は新しいが、この道筋が、先に古道とした道筋と重なっていったのだろうと思う。
by shingen1948 | 2009-10-24 05:15 | ◎ 水 | Comments(0)