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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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弁天山⑦~信夫細道

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 信夫の細道は、元々古道ではあったようだが、散策路として再整備されたのはそれ程古くはなさそうだ。信夫細道へ入る地点には、「この古道、かつては相馬への道であったという。」と案内する「福島信夫ライオンズクラブ」の案内板の他に、周辺案内図と「渡利地区歴史研究会」の案内板が立つ。
 信夫の細道
 この道は、随分古くからあったようで、信達二郡村誌には、椿舘に起こり、十万却を経て中村街道に出る小径とある。
 森鴎外は、小説「山椒太夫」の中で、「主人公厨子王丸が岩代国信夫郡の住家を出て、」と書いている。
 椿館に城を構えていた父の正氏は、この道を逃れ、後筑紫に流されたと伝えられ(900余年前、当時は新旧交替の時期であった。一説には将門の乱に関係とのこと)厨子王がこの道を落ちのびたとの伝えも、まんざら作り話だとは言い切れない。
 厨子王安寿姫物語は全国各地にあるが、椿舘と信夫の細道は、昔も今もここであることに変わりはない。
訪れる人の樋にこたえて、道跡に標柱を建て、路のあらましを記す。
 昭和55年10月18日
 渡利地区歴史研究会



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 階段を上ると、大平山配水池になる。
 この東の方向に見えるのが、大平山ということのようだ。その右の方に回り込んで進むのが、信夫の細道らしい。


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 その道を少し進むと、「右信夫の細道・右的場石」の標柱が案内してくれる。


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 案内に沿って進むと、「的場石(まといし)」と祠が見える。ここが、この大平山(148m)山頂だ。


 的場石
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 大平山配水池を見下ろす山頂に立つこの奇岩が的場石です。その昔、弓の名人那須の与一宗高が信夫山からこれを的に射ったと伝えられており、また、椿舘の諸氏もこの石を標的に射術を練ったといわれています。
 これを管理する近くの八幡院は霊験あらたかな聖地として知られており、この石の上に御幣束を立て、御来光を仰ぎ諸処の祈願をしたと言います。
 また、日照りの年には近郷の人がここに集まり、雨乞いの儀式を行っていました。

 気になるのは、この不気味な凝灰岩質風の石質で、これは公民館の裏にもあった。これがつながっているらしいということだ。
 もう一つが、管理が八幡院で、この石の上に御幣束を立て、御来光を仰ぎ諸処の祈願をしたということだ。実は、福島からの「吾妻」という感覚と、磐梯からの「吾妻」の感覚の微妙な違いのようなものを感じて探る中で、この八幡院が気になっていたのだ。


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 案内板があったところまで戻って、信夫の細道を少し進んでみると、十万却に登ったことを思い出す。登山道の途中に弁天山への道しるべがあったあの道筋と、この信夫の細道がつながっているのだということを実感する。
 この道が椿舘から十万却を経て中村街道に抜ける道だと紹介されていることを頭において、少し歩いてみると、十万却山頂を思い出し、「修験」ということがイメージされる。

 ただ、新しい登山道の案内ではもっと明るいイメージで、花見山から続いた登山道として案内されているようではある。
by shingen1948 | 2009-10-09 05:03 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)