地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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弁天山⑥

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 椿舘山から尾根に沿って下ると、弁天山配水池の右側を通り、西端の「弁天山」ピークに着く。


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 脇を通った弁天山配水池については、先に椿舘について整理したところだが、半沢氏のメモに、「大正11年配水池工事中古墳破壊、直刀出土、ナウマン象歯冠出土」とあるのを見つけた。
 真偽は分からないが、古墳と舘は重なることが多いので、あり得そうだなと思う。
 ただ、ナウマン像の歯冠出土については、この下の旧浄水場に浄水槽設置に伴う出土と説明する案内板が建っている。こちらの情報は確認する必要がありそうだなと思う。


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 ピークには厳島神社が建っている。国道4号線バイパスの脇にあった鳥居から続く参道の到着地点でもある。案内板によれば、大正初年に村民によって役所の補助により再建された神社のようだ。
 元々は、貞享2年(1685)渡辺友意の子孫貞嘉が水上運行の安全を祈願しここに勧進したものだが、福島城内が丸見えとのことで、福島町の渡辺重右衛門が北部天神阿武熊の右岸に移して、大洪水にあって敷地が流失してしまってそのままになっていたものの再興ということだ。


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 ここには、昭和34年に毎日新聞社が、福島市に寄贈した展望台がある。
 
 福島に来て最初に登ったのが、信夫山ではなくこの弁天山だった。その時の記憶には、この展望台の記憶が残る。ただ、このような木造ではなく、椿舘山の展望台のように、コンクリート製だったはず。最近の改築のようだ。
 今は、周りの木々が大きくて、その展望に期待感はない。


 帰り路はいろいろあるのだが、福見山の登り口に自転車を置いたままだ。
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 一段下がった道を福見山の中腹まで戻って、そこから下る。そこに彼岸花が咲いていた。


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 下り切った所から少し行くと、変形の十字路になっているのだが、そこがこの弁天山の尾根伝いに通っている「信夫細道」の入口になっている。その入口に建つ案内板によると、これが古道で、かつては相馬への道であったという。椿舘ー浜街道ー安寿と厨子王のイメージをつなげたくなった。


ふるさとの良さを見つけよう
「史跡」 信夫の細道

 「山椒大夫」の伝説に語られている岩城判官政氏は、この椿舘に住み、後に追われる身となって九州に走ったといわれる。一足遅れて、安寿(11歳)厨子王(9歳)も母と共にこの椿館から筑紫の国へ逃れることになった。
 旅支度の幼い厨子王が、このあたりで道にのびてきていた「つつじ」の枝につまずいて指先を傷つけ、不吉な血を見る結果になった。母は傷の手当をしながら、「このつつじめ、お前のようなつつじは、咲かずともいい」と厨子王を励まして、この道を南へのがれたという。
 それ以来、この椿館には「さかずのつつじ」が生えていたと伝える。
 この古道、かつては相馬への道であったという。

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by shingen1948 | 2009-10-08 05:24 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)