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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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弁天山④~椿舘を中心に

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 これは、椿舘山から旧配水池とその向こうの弁天山を見ているのだが、椿舘のイメージは、この平場あたりを中心にしてイメージを広げればよいのだろうか。
 「ふくしまの歴史」によると、『信達一統志』では、この椿館(山茶館)には岩城判官政氏が居城し、後には持地遠江守が居城、更に伊達輝宗の砦であったと伝えるらしい。
 その岩城判官政氏とかかわり、この館は安寿と厨子王の物語のイメージと重なるが、それは、森鴎外の「山椒大夫」が一役かっている。
 この物語、小さいころに読んだような記憶もあるが、詳しく内容を記憶しているわけではない。

 「ふくしまの歴史」によると、伝説の「山椒大夫」は、江戸時代初めに、説教浄瑠璃(説教節)に仕立てられ広まったとのことだ。
 その中では、岩城判官正氏は福島県磐城郡の豪族とされているという。その正氏が筑紫に流された後、その子である安寺姫と厨子王は、母と共に「信夫の荘」に移り住んでいて、ここから旅に出て直江津に辿り着いたことになっているとのことだ。
 森鴎外は、その伝説と説教節をもとにして「山椒大夫」を作品にしたという。
 伝説には、岩城判官正氏は渡利の弁天山椿舘を本拠にしていたというのもあって、いろいろな説やイメージが重なりあっているらしい。

 「講談師の神田香織氏のページ」では、地域に残る伝説を元に森鴎外の小説「山椒太夫」の物語前を以下のように紡いでいる。

 岩城判官平政氏は平将門の子孫で、康保4年(967)に朝廷にそむいた賊の将を討伐した恩賞として奥州の津軽郡、岩城郡、信夫郡を賜っていわきに着任する。
 その子の政道(安寿と厨子王の父)が、跡を継ぎ平和に暮らしていたのだが、義兄(姉の夫)である家臣村岡重頼に暗殺され、安寿と厨子王は母や乳母、下臣らと住吉城を追われて、母の故郷である信夫庄にやってくる。
 長和6年(1017)に、岩城判官家の再興を計るために京都をめざすため、越後の国へと向かう。
by shingen1948 | 2009-10-06 05:22 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)