人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

弁天山③~椿(舘)山を中心に

a0087378_434799.jpg
 蚕祖神社の案内板が建っているのは、椿山山頂近くだが、そこには北畠顕國卿遺跡碑も建っている。案内板によると、北畠顕國卿は、南北朝時代に活躍した北畠顕家の一族で、この椿舘に居住したといわれていることから、昭和13年(1938)に有志により建立されたとのことだ。


 ふるさとの良さを見つけよう
 <歴史>北畠顕國の碑
 この碑は、北畠顕國公600年祭にあたる昭和13年(1938)10月に、当時の渡利村の有志が中心となって、北畠氏の一族である顕國卿を偲んで建立したものです。中央の「春日待従 北畠顕國遺蹟」の書は、小笠原長生。幕末に老中格となって外国奉行を勤めた小笠原長行の子で、海軍中将になっていますが、文筆に長じたので知られる人です。顕國については、北畠系図に名をとどめていますが、必ずしも明らかでありません。碑文にありますように、天下が南北両党に分かれて相戦う時に椿舘の城主になり、顕家に従って転戦、更に顕家の父親房が拠った茨城県の開城を授けたが、興国5年(1344)に戦死とされています。しかし、これを記した関城書が後筆ではないかとされており、武家社会の自律をもたらした、動乱の中の悲劇を示すばかりです。
 ディスカバー・マイカントリー
 福島信夫ライオンズクラブ

a0087378_4372188.jpg
 この碑が建つところから少し登ればピークだが、これが椿(館)山の山頂だ。
 ここにも展望台があって、ここからの福島市街地の眺めも素晴らしい。
 左手奥に松齢橋・大仏橋が見えるが、そのすぐ左手が、福島城址である福島県庁だ。


a0087378_4401955.jpg
 この山頂が、三連の中では中心的な所なのだろうか。三等三角点がこのピークにある。標高142.9m。


a0087378_442838.jpg
 南北朝時代に北畠顕国が籠ったという椿舘(つばきたて)跡は、この山と次のピークである弁天山との間にある平場を含めてイメージするらしい。
 この平場は、現在配水池になっている。
 「ふくしまの歴史」によると、『信達一統志』では、山茶館として岩城判官政氏が居城し、後には持地遠江守が居城、さらに、伊達輝宗の砦であったと伝えるらしい。
by shingen1948 | 2009-10-05 05:11 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)