地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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弁天山

 「ふくしまの歴史」によれば、渡利地区で、中世の舘として伝えられているのは、椿舘、引舘、南大舘、大舘、茶臼舘、下舘、春日舘、新舘の八舘とのことだ。春日舘以外の舘は、あいまいな確認ではあったが、椿舘と新舘をのぞいて一応は散策したことにする。
 この8つの館のうち、「福島の考古学地図」に紹介されているのは、春日舘・椿舘、そして、新舘の3つの舘だ。その地図のプロットされているところを確認すると、新舘は、最近開通したバイパス上にある。先に整理した「岩崎町遺跡」、「舟場渡船場跡」の標識が民家の中に建っている近くのあたりだ。
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 この「舟場渡船場跡」は、標識が民家の中に建っているだけだ。現況からはイメージしにくい。ただ、河岸段丘と思われる地形をたどっていくと、確かに旧河床がイメージできる脇の可能性はあるとも思える。その近くのやや高台をイメージすればよいのだろうか。
 「岩崎町遺跡」・「新館」・「舟場渡船場跡」を関連づけてイメージしてみるが、現状では無理。 


 「椿舘」は、弁天山にある。この「弁天山」も公園化整備が進んでいる。その弁天山公園という時には、三山の総称を「弁天山」としているようだ。その三山は、東から「福見山」・「椿舘」・「八千代山」でそれが連なっている。その西端の「八千代山」に、弁財天が祭られているので、ここを単独に「弁天山」と呼ぶこともあるようだ。
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 公園化整備のための発掘調査報告書の地図では、「矢千代山」を「弁天山」とし、中央を「椿山」として、「福見山」はその裾野の平坦地として地図に現わし、総称としての「弁天山」を「椿舘跡」の範囲としているようだ。


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 この「弁天山」の弁天様に関わる案内板は、この山をかすめて通る国道4号線バイパスの脇にある厳島神社鳥居の所に建っている。
 どうでもいいことだが、その国道4号線が阿武隈川を渡る橋の名称は弁天橋。


 厳島神社(宗像さま)弁天さま
 (前略)…※ ここには、厳島神社や弁天についての説明がある。
 ここの社は貞享2年(1685)渡辺友意の子孫貞嘉が水上運行の安全を祈願し山上に勧進す。しかるに時の殿様より城内が丸見えとて山上には祀れず、後日福島町の渡辺重右衛門が阿武隈川弁運のため北部天神阿武熊の右岸に移し鎮座す。理由あり社解体す度重なる大洪水に敷地流失しそのままにあり、大正初年に村民一同長年の再建願望が役所の補助により現在の山上に鎮座せり。
 平成6年8月
 渡利歴史研究会
 (文)建主会員 尾形梅之介

 ここも、個人的な案内板だ。
 「城内が丸見えとて山上には祀れず……。」といわれてみれば、福島県庁の福島城とこの弁天山は、川を挟んではいるが、確かに距離的には会津若松の鶴ケ城と小田山との関係を思い出させる。
by shingen1948 | 2009-10-03 05:12 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)