地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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町頭遺跡現地説明会⑤

 この町頭遺跡の遺構は、ほとんどは平安時代のものと考えられる中で、縄文時代と考えられる狩猟のための落とし穴が一つみつかっているということだ。
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 長いほうの径が2mの楕円形で、深さが1.2mほどの大きさだ。

 見た目は、この落とし穴も深そうに見えるが、この程度なら大型の動物は抜け出せるとのことだ。それを防ぐなら幅を狭くして助走ができないようにするとか、下に槍状のものを置くという工夫もあるだろうが、そういった形跡はなさそうだ。
 展示された資料によると、山の下遺跡では、同じような落とし穴がたくさん見つかっているとのことで、このあたりも狩猟の場であったろうと考えられる。


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 けものみち沿いに仕掛けて、獲物が落ちるのを待つという狩猟なら、複数の落とし穴の設置ということになるだろう。確かに、道路が等高線沿いに走っていて、そのすぐ脇の位置なので、けもの道沿いのようにも思う。
 二棟の民家の東側にもこのような穴があったとも聞く。この穴は単独のようで、追い込む猟だったのだろうかとか、……。


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 これは、道からこの遺跡を見ている所だが、その直ぐ側に落とし穴が見えている。この等高線状に走る道の西の方に、山の下遺跡がある。この高さあたりが、縄文の狩猟場だったということだろうか。先に整理した町頭遺跡現地説明会④と関連づけながら見ていると、いろいろとイメージが広がる。

 安達太良山麓の縄文遺跡あたりを散歩した感覚からすると、このあたりの縄文遺跡は、低地にあるなぁというふうに感じている。もし居住空間が近間にあるとすると、居住空間と狩猟場の高さの感覚では、狩猟場が高いというふうに思ってしまうのだが、そうするとかなり低いと感じてしまう。
 縄文時代の集落跡である宮畑遺跡も、自分の感覚では低い位置だなあと感じるが、阿武隈川とのかかわりを想像すれば、いい高さかなのだろうかとも思える。そういう意味では、最近合併した飯野町の和台遺跡は、阿武隈川とのかかわりからすると、かなり高いなぁ……。

 最近、この高低差が気になりだしたのは、最近の移動手段が徒歩か、せいぜい自転車を原則にしているせいだ。その自転車も高低差に弱いママチャリなので、その場その場での経路判断では高低差が最も重要な要素なのだ。
by shingen1948 | 2009-09-19 05:48 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)