町頭遺跡現地説明会②
2009年 09月 16日

発掘調査の現場の脇の民家では、展示会をしているというのでそちらを先に見させてもらった。
この地区の遺跡が分かるパネル展示と岩崎町遺物を中心に、山の下遺跡遺物とこの遺跡の遺物が展示されていた。

岩崎町遺跡は、位置的にみると、渡利大橋の近くだ。この橋が架かり114号線道路の整備にともなって調査された遺跡のような感じだ。

この岩崎町遺跡は、平安時代を中心にした遺跡のようだ。8世紀後半から10世紀前半の竪穴住居跡が38件発見されたという。その住居跡の数は、平安時代以降の数が多いことから、9世紀の平安時代初めごろに新たな耕地開発に伴い作られた集落と考えられているようだ。
地形的には、ここが高台になっていて、この背後に後背湿地があってその開発に伴って形成されたとある。 上の写真で、水田になっているあたりが、その湿地なのだろうと想像する。

この遺跡の住居跡の中に、一辺が9m前後の大きな竪穴住居があったということだ。この住居に集落の有力者が住んでいたと考えられているらしい。
ここでは、遺跡の重なりから、その新旧について説明されている。

この岩崎町遺跡では、10世紀なかほどの土器が穴の中に捨てられていたということで、たくさんの遺物が出土したようだ。その遺物を中心に展示されている。

人が集まる前なら触れてもいいし、写真も自由ということで、いろいろ聞きながら充分楽しませていただいた。


使い慣れたパソコンの基板交換で、最近まで、別なパソコンを使用していて、返信遅れています。
効率ということからは疎遠かもしれませんが、住み慣れた街も、見方を変えると別な見え方になるという魅力ある学問の専攻、うらやましいですね。
ただ、現実は、この遺跡も含めて、破壊されるために発掘されるという状況が多いようですね。
将来にわたっても永いご活躍を期待します。