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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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大塚山古墳④

 この大塚山の南斜面には、大窯があり、天目茶碗や碗、菊花の押印の皿、窯道具が出土していて、東日本で、唯一の天目茶碗を焼いた可能性が高いとのことだ。
 焼き物についてよく知らないので、検索していたら、考古学から見た「会津の歴史」に詳しく紹介されていた。
 それによると、天目茶碗を焼くことのできる大窯というのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、前田利家、蒲生氏郷氏郷の5大名ぐらいしかできない窯だということらしい。
 関わったと思われる候補者として、蒲生氏郷、蒲生秀行、上杉景勝を挙げている。職人として、前田家から職人を推定しているのも面白い。
a0087378_5255333.jpg
 大塚山古墳にある「一箕地区の文化財」の地図には、「村北瓦窯跡」がプロットされて紹介されている。実は、この窯跡は、昨年旧道の感覚を試して歩いている時に偶然見つけた。
 出土遺物と窯元との関係を見てみたいという程の探究心もなかったので、そのままにしていた。
 この機会にいろいろ検索してみたら、石田明夫の「会津の歴史」のページに、会津最古の窯跡で、古代の瓦と須恵器を焼いた「村北瓦窯跡群」という紹介をみつけた。それによると、会津若松市河東町の郡山遺跡から出土した平瓦「雷文縁複弁蓮華文軒丸瓦」の窯元という重要な位置づけらしい。7世紀末から8世紀前半にかけての瓦を焼いた窯跡5基と須恵器を焼いた窯跡1基の合計6基の窯跡群とのことだ。
 それこそ、風景的には、ただの丘でしかないのだが、整理しておくことにした。

 次のような、案内板は立っている。
 市指定文化財(史跡)第25号
 昭和47年11月1日指定
 史跡
 村北瓦窯跡
a0087378_5274195.jpg この史跡は、昭和45年6月14日から6月30日にわたって実施された居合団地造成に伴う埋蔵文化財発掘調査の結果発見された、古代の瓦窯跡である。5基発見され、内部か出土した古瓦等より貴重な資料として、保存のため1~3号までの3基が埋め戻されて残されている。
1号瓦窯跡 長さ4.50m幅1m高さ0.80m
2号瓦窯跡 長さ7.70m幅0.80m高さ0.8m
3号瓦窯跡長さ7.50m幅0.80m高さ0.8m
 この窯は、地下式登り窯の構造を有するもので、窯としては最初のものである。奈良時代に瓦を焼いた跡といわれ会津地方では唯一の古瓦関係の遺跡として重要なものである。
 平成6年3月
 会津若松市教育委員会

by shingen1948 | 2009-09-14 05:29 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)