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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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会津大塚山古墳③

 ここに登る途中に、ここから遠望できる古墳が紹介されている。また、近くの遺跡の紹介が表示されていて、見方を深めさせてくれる。これも、今年新たに工夫された表示だ。
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 こちらの方向は、自分にとっては二本松裏街道の旧滝沢峠方面だ。滝沢本陣を挟む二つの山が古墳だとのことだ。その片方が飯盛山で、もう一方が堂ケ作山という。


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 自分の目で見てみるとこんな感じの景色だ。
 地元の方々の感覚では、背あぶり山系ということらしい。背あぶり山自体はテレビ塔等のアンテナがあって直ぐに分かる。
 この古墳は、案内板によると古墳時代前期の大型前方後円墳で、大塚山古墳よりも古いとのことだ。


 飯盛山は、白虎隊自害地とその墓のイメージが強い。それ以外の歴史は、その強いスポットライトの影になり見えにくくなっている。この山の山頂が古墳であるという案内は、自分の意識の中から、それ以外の歴史への興味をあぶり出す効果を受ける。そういえば、中世の館でもあるという話も聞いた。

 改めて飯盛山の白虎隊の情報を消し去ってみると、標高314mの弁天山で、厳島神社が鎮座した信仰の山という景色も見えてくる。
 この厳島神社は宗像神社と称して、永徳年間(1381~)に勧請され、歴代の領主芦名氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏、加藤氏、保科氏から崇敬されていたという。特に会津藩主松平正容は社領の寄進や社殿の建立などを行ったと聞く。西国三十三観音が祀られているさざえ堂は、正宗寺の別当で寛政8年(1796)の創建という。
 これらが、例の明治政府の神仏分離令で正宗寺が廃されて厳島神社と改名され、それまでの信仰が見えにくくなったというおまけも見えてくる。


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 「会津地域の歴史」(簗田直幸著)によると、この大塚山の近くには円墳や横穴古墳も近接しているという。また、この山は、大塚山城跡、中世居舘跡、会津大塚山窯跡なども存在して、遺跡の宝庫でもあるという。
 「会津若松市史」では、東北最古の古墳の原型を損なわずに物見が設けられ会津でも良好に遺構を残す大きな山城の側面もあるとしている。山の南側から西側に遺構が平場、土塁、堀が残るという。
 案内板は、それらを散策するヒントも与えてくれている。
 なお、この大塚山館の主は、葦名氏家臣石塚氏とも聞くが、よく分からない。
by shingen1948 | 2009-09-13 05:27 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)