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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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会津大塚山古墳(国指定史跡)②

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 今年の補助の案内板で、その規模が実感できるようになったが、もう一つイメージできるようになったのが、埋蔵施設だ。そのイメージを助ける表示がもう一つある。墓地の休憩所にある案内の中のこの写真だ。

 この表示は、去年見つけたのだが、そのことを整理していなかった。今回の表示の工夫と合わせると、具体的にイメージできるようになった。


 昨年掲げられた古墳案内は、次のようなものだ。
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 古墳は、この管理棟の裏側(南側)約170mの丘陵頂部(標高約270m)に存在します。
 昭和39年(1964年)に発掘調査が行われました。形は前方後円墳で、規模は全長114mで、会津地内で第二位の大きさです。
 棺は朽ち果てていましたが、後円部のほぼ中央に2基並んだ状況で2人が葬られていました。南側の棺の 埋葬後に北側の棺が葬られており、形態は竹を二つに割ったような割り竹形木棺と考えられます。
 棺の中には、鏡・太刀・剣・やじり・靫(ゆき:矢を入れるもの)などの武器や武具・斧・刀子などの農耕具・勾玉・管玉の首飾りをはじめとして多くの品物が供えられていました。
a0087378_4501297.jpg 特に南棺から出土した三角縁神獣鏡は、単に人を写すものではなく、権威のシンボルとしての意味が強い品物と考えられています。縁の断面が三角形で、内側に3つの神像と2つの獣、その外側に唐草文があります。この鏡は国内で生産されたもので、岡山県鶴山丸山古墳から出土した鏡と同じ鋳型でつくられたことが知られています。
 出土品は国の重要文化財に指定されており、県立博物館に展示されています。
 古墳の造られた時期は、今から1650年ほど前の4世紀中頃と考えられています。
 葬られた人は、古墳の形や規模と出土品から、大和政権と強いつながりのある会津盆地を治めていた豪族と思われます。


 この案内を受けて、補助の案内板によって観察をして、改めて主体の案内板を読むと、納得したような気にさせられる。
 会津盆地の東側にある比高30mの独立丘陵上に造られた柄鏡式の前方後円墳で、全長114mの規模を有する。
 昭和39年、市史編纂のために発掘調査が実施され、主軸と直交する二つの割竹型木棺が検出された。その副葬品には三角縁二神二獣鏡、三葉環頭太刀、直弧文を有する靭など379点が出土した。
 古墳の造営は4世紀末と推定され、東北地方では最古に属する古墳に位置付けられている。この被葬者は会津盆地を治めた首長と考えられ、その副葬品から当時すでに、畿内の大和朝廷と密接な関わりをもっていたことが推定される。

 埋蔵文化財は、景色としては単なる山であったり、丘であったり、野原であったり、……。
 散歩で楽しむには、こういった案内板の工夫がいい。郡山の大安場古墳のように、復元して公園にするのも具体的にイメージする方法の一つではあると思うが、逆にイメージを損なう側面も持つように思う。それに比べれば、この案内の工夫はすぐれた方法に思う。
 ここでゆっくり散歩をすると、博物館にあるという遺物を見てこようかという気分になる。それがもっと近くで、それだけの展示だったらもっといいだろうが、それは小さな行政区でしか実現できない贅沢なことなのかもしれない。
by shingen1948 | 2009-09-12 05:22 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)