地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「庚申壇古墳説明会⑦~説明会の後で 」

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 庚申檀古墳案内板説明内容と今回の調査のまとめを比べてみると、その違いは、規模についての記述だろうか。
 その他の部分については、詳細なことまで明らかになったり、根拠が示されたりしたということだろうか。

 規模について、案内板では、「後円部径約30m、前方部削平残部約18m、高さ約5m」としている。
 今回の調査の結果をまとめから拾うと、そこが「墳長約35.5m、後円部直径約32m、後円部高約5m、テラス幅約1.4m、前方部長約5.4m、前方部前端幅約17m、くびれ部幅約15m、前方部高約2m」というふうになるだろうか。
 この古墳の形についても、この案内板風に表現し直してみると「帆立貝墳あるいは造り出し付き円墳で、南側に一部周溝が巡らされている。盛土と地山削り出しで形成されたものです。」というふうになるだろうか。
 その後に続けてみる。
 この古墳の円墳部のテラスより上部には、全面に葺石が葺かれていました。また、墳頂部とテラス部には円筒埴輪と朝顔型埴輪を樹立していたと考えられます。
 後円部頂には並列する2基の埋蔵施設があります。南側の埋蔵施設は、大きさの異なる3種類の河原石と粘土で木棺を包むという礫槨でした。ただ、上部が削平されていたためこの部分は確認できていません。
 棺の形は、刳り抜き式の舟形木棺であったようです。副葬品として、鉄剣、鏃・帯金具などの鉄製品が添えられていました。
 北側の埋葬施設は、主軸長約2.7m、幅約1mで、粘土のみで棺を包む粘土槨でしたが、詳細な調査は継続中です。
 築造年代は、円筒埴輪に黒班が見られないことや、二次調整の横ハケが見られること、更には、人物、動物埴輪が出土しないことから、同じ古墳群にある南ノ内の天王檀古墳(5世紀後半頃)よりやや古いと考えられます。
 また、副葬品の鉄剣の全長、柄の装着部分の長さが長いという特長からは、4世紀から5世紀中葉のものと考えられ、また、鏃の接合部が長い等からは、5世紀中よりも古いと考えられます。

 こんな感じだろうか。
 現在の庚申檀古墳案内板説明内容は、次のように掲げられている。
 本宮市指定史跡
  庚申檀古墳
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 規模・後円部径約30m、前方部削平残部約18m、高さ約5m
 位置・福島県安達郡本宮市字竹花
 この付近は、多くの古墳があって七ツ坦とも言われていたが、現在は庚申檀・金山・天王檀・二子塚の4つの古墳が残っている。
 この古墳は、竹花丘陵西端に、築造したもので、墳頂に庚申塔がまつられているところからこの名がつけられている。
 古墳は前方部の低い前方後円墳と考えられているが、前方部は削平されて一部のみが現存している築造されたときは、全長50m以上の規模を有していたと考えられる。
 墳丘には葺き石が残存しており周辺には埴輪片が散見され、埴輪を樹立した古墳であったことがわかる。
 築造年代は、古墳の前方部が低平なこと、円筒埴輪が、大きく、焼成に甘さが見られるものが存すること、埴輪片に二次調整の横ハケが見られることなどから、同じ古墳群にある南ノ内の天王檀古墳(5世紀後半頃)より古く、5世紀前半まで遡る可能性がある。

 昭和61年7月
 本宮市教育委員会

 地道だが、一歩ずつ着実に明らかになっている感じがする。
by shingen1948 | 2009-09-09 05:53 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)