地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

「庚申壇古墳説明会④~後円部(肩部~テラス~墳端)」

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 今回は、昨年と反対側の場所で、肩部からテラスにかけて、そして、テラスから墳端部までの部分が調査されているらしい。位置的には、「後円部第2」とあるところだ。
 なお、昨日整理したところが、「後円部墳頂」とある部分で、一昨日整理したところが、「前方部前端」とある部分だ。


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 これは墳肩の部分だが、構造として、テラスより上部が盛土になっているということなので、盛土の部分の様子だ。


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 これが、その下のテラスから上部の部分だが、散歩人としては、テラスよりやや上部の葺き石が盛り土に突きさすように張りつけてある様子が見れたことがうれしかった。


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 葺き石のようなものが存在しても、そこに葺き石があったと断定しないという説明があった意味が分かる。
 こここでは、この転落石が多量に存在することも含めて考え、後円墳上段の全面に葺かれていたと想像しているようだ。
 なお、この葺き石は、黒色土層より上の層に施されていて、古墳築造以前のものらしい遺構が見えるとのことで、この層は古い表土と判断したという。


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 これは、上部からみている。
 テラス部は、幅が約1.4mとのことだ。構造的には、このテラス部から下は地山を削り出して墳丘をつくっているらしいとのことだ。

 もう一つ気になるのは、埴輪だ。この写真でも、葺石に混じってその片が見えるが、その据え方は検出できなかったという。
 ただ、埴輪の多くが、墳丘の下段から出土しているので、このテラスに設置されていたという想像はしているようだ。更に、テラスの上段斜面からも出土することから、墳頂付近にも設置されていた可能性があるとしているようだ。


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 これは、墳端部分だが、地山の傾斜が変わる部分をもって墳端部としたようだ。こちらには、周溝は存在しなかったとしている。


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 ここに、藤田駅南西のニュータウン内公園展望台として復元された堰下古墳の写真を貼り付けて、葺き石が貼り付けられた円墳部をイメージしてみる。ただ、この写真の古墳ではテラスよりも下部も葺き石があるように復元されているので、その部分を消し去って。
 なお、この古墳については、「堰下古墳を訪ねる」として整理している。


 昨年、後円部の墳墓の様子について説明があったのは、東側の墳端から周溝にかけての部分だった。このことについては、「庚申壇古墳説明会③~後円部(墳端と周溝)」として整理した。
 昨年の「墳端から周溝部」と今年のその上部の「墳端部からテラス、そして肩部」までを、連続的に考えれば、具体的なイメージが深まったということだ。

 説明の意図とは別に、個人的にもう一つ印象的なことがあった。それは、この周溝の外側の斜面には黒い堆積土があり、ここから古墳期以前の土器片や石器片が出土したということだ。そのことは、この古墳の周溝を造るのに、この下層にあった古い住居跡の遺構の一部を壊しているということだ。
 この古墳は、その後長尾氏の館として使用されていたとも聞く。それなら、その時には古墳としての施設は、相当に傷ついただろうと想像する。更には、この長尾氏の館跡としての姿は、東北線の開通で分断されて破壊されるということになるようだ。ここは、そんな経緯の中でも、生き残っている景色だということだ。
by shingen1948 | 2009-09-07 06:03 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)