人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

「庚申壇古墳説明会②~墳端の位置と構造」

a0087378_5324921.jpg 
 今回の前方部の発掘調査点は、昨年の説明会の時に発掘していた地点の直ぐ隣の位置あたりのようだ。前方部の先端の位置とその構造を特定するということのようだ。


a0087378_5341123.jpg
 表土を出した後、更に掘り進めてその断面から土の積もり方を確認しているようだ。
 説明は、科学的だが、散歩人らしく整理すると、今回の調査区では、水平に堆積する層が確認できたので、盛土で墳丘が構築されているということのようだ。
 この盛土が、全面的に平らになるところを確認して、前方部前端として、昨年度の調査と矛盾がないことを確認したようだ。


a0087378_5394354.jpg
 散歩を楽しむ者にとっては、この古墳では、葺き石が気になるところだが、報告では、トレンチ内には存在しなかったとした。ただ、転落したと考えられる石は数多く検出されたという。
 遺物としては、円筒埴輪を中心に朝顔型埴輪や土器片が約200点出土したという。

 簡単にいえば、葺き石にしたと思われる石は、上部から流出してきたもので、ここに葺き石をした可能性は少ないということのようだ。埴輪片もあちこちに見えているが、これらも置き場所についての確認はされなかったということのようだ。

 なお、完全な形の円筒埴輪や朝顔型埴輪は、本宮市の歴史資料館でみれる。近くの天王壇古墳から出土したもので県指定の文化財になっている。また、大玉村の資料館には、谷地古墳(下舘跡)から出土した埴輪が展示されている。谷地古墳(下舘跡)は、大山小学校校庭南端の部分で、案内板はない。

 この庚申壇古墳あたりは、天王壇古墳や金山古墳、二子塚古墳などと共に七ツ坦古墳群を構成して築造されているが、本宮市と大玉村の2つの行政区の堺になっていて、よそから散歩に来ると、分かりにくいことがある。
 なお、七ツ坦古墳群というくくりでの前方後円墳の中では、庚申壇古墳は形や埴輪から5世紀前半にまで遡り、七ツ坦古墳群の中では天王壇古墳よりも古い時代の古墳である可能性があると考えられているようだ。
by shingen1948 | 2009-09-05 05:57 | ◎ 埋蔵文化(古墳・それ以前) | Comments(0)