「桑折西山城中舘跡 発掘調査 現地説明会」⑧~説明会を終えて
2009年 09月 03日
この大きな山城を歩くと、他に立ち寄る元気は残っていないので、そのまま家に戻った。
整備計画では、周りの史跡として、観音堂山・万正寺の大カヤ・下方正寺遺構「朝宗の墓」・つつじケ丘遺跡が紹介されている。
これらは、先に訪ねて「西山城の散策③伊達五山の旧地を整理する」として整理している。
この中にある「何もない田圃にある光福寺」は、この時点では確認していなかったが、一揆とのかかわりで散策した刑場の脇の草原であり、確認できている。
光明寺は、今も行っていない。国見町光明寺字沼にあり、夫人結城氏の墓も所在するそうだ。
伊達五山について、今も仙台の「東昌寺ホームページ」が分かりやすく解説している。
その他に、以下の2か所を整理している。
○ 万正寺の大カヤ
○ 西山城⑤化粧坂
○ 伊達氏の祖「朝宗の墓」を訪ねる
ちょっと離れるが、伊達成宗の墓を訪ねている。
意識していなかったのが、常陸館跡だ。
位置的には史跡指定地南西方、大字万正寺字常陸から大字平沢字常陸舘にかけての場所で、桑折西山城同様、伊達氏の祖朝宗(常陸入道念西)の居城との伝説を持っているという。
伊達稙宗時代は、宿老中野常陸陸介宗時の居城があったとみられる。
北側の郭には舛形状虎口があるという。南端が高速道路で失われているが、現況は大半が果樹園とのことだ。
今回、少し早目に着いたので、北にある常称寺との間の道路を通って西山城に登る道を確認してみたが、これは、桑折西山城の西側への搦め手口であったとみられているとのことだ。これも意識していなかった。
次の機会には、そのあたりも確認してみたいものだと思う。