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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

神指城跡②

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 出かけたチャンスにその地域を散歩することを積み重ねているのだが、家人と一緒の場合、訳の分からない藪や崖のあたりをウロウロするのを待たされると評判がよくない。
 今回も家人と一緒だったが、この神指城のこの土塁も何もない丘でしかないのに喜んでくれた。
 その訳の一つが、土塁の上の大木の存在だった。


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 この樹の幹の太さには誰しも圧倒されるだろう。地図でも「高瀬の大木」としてこの大木がプロットされている。この地のシンボルにもなっているようだ。国指定の天然記念物にもなっている。


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 国指定天然記念物文部省告示23号
 昭和16年1月27日指定
 高瀬の大木(ケヤキ)
 会津若松市神指町大字高瀬字五百地

 慶長年間に上杉景勝が築城した神指城跡の東北隅の土塁上にある。
 築城前から既に大木であったことが知られ、根元の周囲12.55m、目通りの幹囲10.45m樹高24.64mある。
 大枝の折損が相次ぎ、幹部に亀裂が生じてきたが、樹姿はなお堂々としてすぐれ、ケヤキの巨樹として有数のものである。
 昭和56年11月
 会津若松市教育委員会

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 これは、北側から神指城二の丸の北東土塁として見ているのだが、この大樹と一体化した景色として圧倒される。


 もう一つは、隣が、会津33観音の15番札所 高瀬観音堂(曹洞宗 吉高山 福昌寺)だったことだ。
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 案内板によると、承安2年(1172)京と奥州を往来していた金売り吉次一行が村東の応湖川を渡ろうとしたとき、大雨のため増水して船が転覆し、吉次の弟吉六が溺死したという伝説の吉六の冥福を祈って建立したという。11面観世音立像が祀られているとのこと。
御詠歌が、「法得ても 心ゆるすな 天小舟
                       高瀬の波は時をきらはず」ということのようだ。


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 その前に、社があって、この石塔は吉六の墓と伝えられているとの解説がつく。金売り吉次御一行様の話はあちこちで聞くお話だ。  
 訪れた人に、案内板で寺の南には名将上杉景勝の築いた神指城跡があって、天然記念物の「高瀬の大欅」とともに、戦国の世をしのぶことができると紹介している。

 気になるのは、慶長5年(1600)3月に工事が開始されるのだが、恐らく村の移転関係があるだろうし、工事の動員もかけられであろう。それらのこととこの村がどうかかわったかということだ。


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 散策したい範囲は、本丸を挟んで対角線にある林あたりまでで、せいぜい1㎞程度だ。一人ならじっくりと自然を感じながら歩きたいところだが、ここは妥協する。


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 恐らく土塁の北西隅は、あの林あたりだろうと見当をつけるが、今回はそこを写真におさめるだけにする。
 本丸へは車で移動するという条件で付き合ってもらう。
by shingen1948 | 2009-08-19 05:42 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)