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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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光台寺の板碑

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 上郡渡し跡の橋を渡って、対岸の保原側の土手を南に進んだのだが、土手の下に、「東こも薬師」なるものがある。一応土手から降りてみたが、そのいわれ等はない。家に戻って確かめたが情報はない。
 勝手に想像する。
 「薬師」ということから、尊い石を削って薬にするという風習にかかわるのかなと思ってみる。
 「こも」からは、こもはむしろで包んであったというイメージと、そこにむしろを敷いたというイメージがあり、お産のイメージもある。虚無僧の略語にも「こも」という言葉が使われることもあるという話も聞く。
 勝手に想像は広がるが、ここの「こも薬師」は、どんないわれがあるのかということにはたどり着けない。


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 土手からの景色で気になったのが、屋敷の漆喰の壁と大きな寺だった。とりあえず寺へ立ち寄ってみることにする。
 これは、寺に向かう途中に見えた漆喰の壁。


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 大きな寺は、「光台寺」とある。山門をくぐって直ぐ左側の建物の中に、板碑群が保管されていた。


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解説
 板碑は中世(鎌倉時代)に流行した追善供養の石造りの卒塔婆である通常中央上部に仏様を表す種子(梵字)がありその下中央に年紀があり左右に造塔の趣旨が刻まれている。
刻まれている文字は次のとおりである。


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 右のうち2号4号5号は同じ人物の周忌供養で4号に死者の命日2号は35日の追善5号は100ケ日供養で他の2基は文字不明であるが関連があるものとみられる。
 このように同一人物の命日57日100ケ日供養が関連してある例は全国的にみて稀有でありこの点極めて貴重である。
福島県文化財専門委員
梅宮茂識

 家に戻って確かめると、光台寺境内の光台寺供養塔の6基の板碑は、中世(鎌倉・・室町時代)に追善供養のため建てられていた石の塔婆とある。ただ、正応2年と刻まれているということは西暦1289年ということであり、鎌倉中期のものが存在していることは確実だということのようだ。
 この6基のうちの5基は、大正7~8年に観音前の畑から発堀されたもので、1基は、荒屋敷の三田八幡大けやきの下にあったものを移したとある。
 昭和47年3月13日に合併前の伊達町の文化財に指定されているようだ。
Commented by Pooh3 Kampf Gru at 2009-08-11 14:33 x
こんにちはぁ

いつも お勉強させて頂いておりますぅ 

Pooh3 Kampf Gruppe プーさん です ぷー

『~大河の四季~石巻地方の史談と遺聞』(著:紫桃 正隆)にも

石巻周辺の 岩製の板碑についての 考察が書かれておりましたぁ

ウハッキュウも 刻まれており この時代の〝流行〟があるのでしょうか?

また ご教授下さいませ


Commented by shingen1948 at 2009-08-16 12:58
お久しぶりです。
楽しい温泉の旅を楽しんでいらっしゃるようですね。
烏八臼(うはっきゅう)についてですが、よく分かりません。
信夫の里あたりでは、地元の石が砂岩系で崩れているためか、宗派の違いかよく分かりませんが、今のところ考察されているものを見かけません。
役に立てなくて済みません。
by shingen1948 | 2009-08-11 05:43 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(2)