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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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上郡渡し跡

 産ケ沢の刑場までの散策の戻り道、阿武隈川の土手沿いに見逃したものを確かめながら進むことにしたが、いくつか新たにみつけたものがある。
 産ケ沢の刑場の南東方向の産ケ沢川沿いにある藪が、興福寺の地名だ。伊達5山とのかかわりで観察ポイントだが見落とした。
 系統たてて確かめたかったものというのではなく、散歩のついでに自らの力だけでみつけようと何度か試して見つからなかったもので、この時に見つかったものもある。本当に偶然見つけたものもある。
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 この上郡渡し跡は、偶然みつけたものの一つだ。
 新たな農道に沿って阿武隈川をめざしたのだが、その新たにできたという橋の端に、「上郡渡し跡記念碑」が貼り付けられていた。


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 その説明によると、ここは、江戸時代には山形の幕領屋代郷の年貢米積み出しや、桑折郷から保原へ通じる保原道の発着河岸で、物流往来の重要な場所で、渡船場だったとのこと。昭和46年まで運行されていたという。


上郡渡し跡記念碑
 阿武隈川は大川や逢隈川とも呼ばれ、古来よりこの地方に大きな恵みをもたらしてきたが、反面洪水などにより甚大な被害を及ぼしてきた。
 江戸時代、信達地方には9ケ所以上の河岸があり、上郡河岸は山形の幕領屋代郷の年貢米積み出、桑折郷から保原へ通じる保原道の発着河岸で、物流往来の重要な場所として川筋は賑わいを呈していた。
 船場は、昭和46年まで渡し舟が運行されており、上郡村、伊達崎村、桑折町と管理運営の歴史を経て交通手段の発達により廃止された。最後の船頭は紺藤林太郎氏であった。
 江戸時代から3百数十年の歴史を持つこの上郡河岸渡し場も、昭和から平成へと時代の変遷と共に、福島県営伊達地区広域農道整備事業として伊達5町の協力のもと、恒久的な昭和大橋に生まれ変わった。この橋の完成によって経済文化の交流が進展し地域振興に大きく貢献するものと期待される。
 ここに昭和大橋の完成を記念し、古よりこの地を守ってきた先人のたゆまぬ労苦に感謝の想いを込め、今歴史の中に埋もれていく上郡河岸渡し船場の地を永く記録に留めるものである。
 平成6年3月
 桑折町
 福島県福島農地事務所

by shingen1948 | 2009-08-09 18:20 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)