人気ブログランキング |

地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

岡陣屋跡

 ここは、奥州街道の左側にあるらしいので、確認しながら進んだが、奥州街道が下り坂になってしまった。どうも、見逃したらしい。
a0087378_5112187.jpg
 岡陣屋跡は、中世の要害の地にあるとの話なので、それらしい地形のはず。戻らずに、そのまま東側に高台を回り込んでみる。
 すると、こんな景色が現れる。


a0087378_5122663.jpg
 低地には、2か所の墓碑群があって、こちら側から眺めた高台が、それらしい雰囲気を漂わす。
 この先の東西に走る道が、この高台に登る道であるような気がする。


a0087378_5181643.jpg
 その道を進んで、登り坂になっている左手の神社らしきところが、陣屋跡と思われる。


a0087378_5213820.jpg
 そこを登って行くと、ここに行けそうな道がある。


a0087378_5223218.jpg
 左手に神社があらわれ、その鳥居の脇に案内板が建っている。


 岡陣屋跡
 徳川幕府の領地を「天領」といい、この領地を治めるために、幕府では代官を派遣した。
 岡村御役所、通称「岡陣屋」は、元禄14年(1701)から寛延2年(1749)までの49年間に渡る幕府代官の駐在地で、信達地方93ケ村を支配した。その禄高は約9万5千石で、近郊の大名の中では最高の石高を誇った。
 陣屋跡は、現在では稲荷神社が祀られているが、その昔、周囲には堀、西には土塁を築いた跡が見られ、東は数mの崖になっていて、要塞の地であったと思われる。

 案内は、ここに陣屋があった時代を中心に説明する。散歩してきたこととのかかわりでは、代官所が桑折に移された寛延2年に、桑折代官の暴政に抗した長倉村の斎藤彦内らの信連大一揆が起っている。

 さらりと「その昔、要塞の地であった」と表現する想定時代は、確実な資料がないのでぼかしているのだろうが、鎌倉から室町時代にかけての時期を中心に考えているだろうと勝手に思っている。
 伊達大善大夫政宗(9代の伊達政宗)と長倉入道は、桑折赤舘(西山城本丸の位置)と長倉舘に拠って,足利満兼の大軍と激戦を交えるのが、応永年間(1394~1427)である。その長倉館は、電車道の伊達小とその左側の神社があったあたりだ。
 また、この陣屋の近くには天文3年(1534)伊達植宗の子息清三郎の入嗣した修験(山伏)極楽院があるという。


a0087378_5321189.jpg
 西に土塁、そして東から北にかけては崖になっているので、その入口は、南と想定して、鳥居の前の道を南に進みながら、周りの様子と雰囲気を確かめる。(写真は振り返ったところで、奥に陣屋跡がみえる)
by shingen1948 | 2009-08-01 05:39 | ◎ 会津への路(伊達政宗) | Comments(0)