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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の虚無僧寺③~連芳軒の旧地

 春日町の慈恩寺の案内説明によると、連芳軒は、元々は電々ビルの所にあって、敷地617坪、東西32間南北19間の壮大にして奥州随一の著名な虚無僧寺とのことだ。
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 電々ビルと奥州街道との位置関係を確かめると、奥州街道の北裏通りにあたる位置で、歴史ある寺が並んでいるその一角ということになる。


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 そういえば、そこには無縁地蔵尊があったはず。そう思って確認すると、案内板では、福島電報電話局の敷地は元慈恩寺のあった跡と説明していた。
 慈恩寺は、虚無僧寺「小菊山 連芳軒」の本寺という関係だとすれば、この地蔵尊が、連芳軒がここにあったことの痕跡の象徴として受けとめる。

 「道ばたの文化財」によると、慈恩寺にあった虚無僧寺開祖の記念碑は、ここに明治8年に建てられたということになる。


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 明治4年には普化宗廃止の太政官布告が出され、虚無僧たちの先細りの不安感の中、この記念碑が建てられたのだろうと想像する。
 神保政之助が、明治10年にやってきたのは、自分たちが存在できる場を求めてやってきたのだろうか。
 明治14年までここに住んだということだが、明治14年には福島大火によって焼失する。

 物理的に虚無僧寺が焼失するのは、福島大火だが、制度としては明治政府によって消滅することを命じられているという状況のようだ。
 案内板にある「工事のたびに石塔や仏が発掘される」ということに、虚無僧の想いを想像する。
 尺八を奏でることが、瞑想の世界であるという虚無僧は、その想いをどう表出するのだろう。
 その一つは、純粋に仏法的なことだろうが、もう一つあって、維新の名において一つの宗教の形態を抹殺した権威に対する不条理を諭している象徴だというのは、深読み過ぎるだろうか。
 その象徴がこの地蔵尊であり、地域の良心として受け継がれていく象徴になっているというのはどうだろうか。
 
 無縁地蔵建立の由来
 ここ福島電報電話局の敷地は元慈恩寺のあったところでありますが、昭和30年、慈恩寺は春日町に移転し、昭和33年11月その跡地に現在の大町電々ビルが建設されました。
 お寺の移転の際には、お墓も一緒に移して、現在も深く供養されております。
 しかしながらその後も敷地内工事のたびに、石塔や仏が発掘され、そのつど供養を行ってきました。
 いまだここに眠る無縁仏の供養がいつまでも続けられることを念じつつ昭和55年5月7日、職員有志や商店の人たちと共に無縁地蔵を建立したものであます。
 昭和57年5月
 無縁地蔵尊保存会

by shingen1948 | 2009-07-26 05:46 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)