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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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北辰の碑(舟戸の日時計)

 先にこの「舟戸の諏訪神社」には整理しているが、その時は、「天地人の時代」とかかわる部分だけの整理だけにしていた。

 ここには、江戸時代に学問や文化的なことに情熱を注がれた方がたくさんお住まいだったらしい。昨日の郷土史「信達一統志」の著者志田正徳氏だけでなく、天文学も盛んだったらしい。
 この碑は、それを象徴する遺跡の一つだ。
 案内板では、次のように説明する。

北辰の碑(舟戸の日時計)_a0087378_6211083.jpg
 明治維新で混乱を極めていた慶応4年(1868)7月舟戸在住の天文学者板垣儀右衛門(号を能水)が平和を願って建てたもの。
 彼は、ここを北緯38度と計算して(実は北緯37度47分14秒)日時計としても使用できるように周囲に文字盤も作ったが、今は失われてしまった。
 碑には、「世代は皆移りゆけどこの里を安らかに守れ神の御柱」と刻まれている。

 「みちばたの文化財」によると、板垣儀右衛門は、この地の幕末の学者渡辺甚七の門下生で、師の甚七が未完に終わった日時計を引き継いで完成したという。それを記念して「この地は北緯38度なり」ということが刻まれたこの碑を建立したといわれているとしている。

 ここからは、私的な想像だが、この時代は、かなりの精度で地球の大きさが分かったことが、この辺りにも新しい学問として広がって伝えられてきたころではないかと思う。
 伊能忠敬展で知ったのだが、彼は地図で有名だが、その目的は天文学的な興味であり、この地図を作製するとともに、この測定を通して、天文学的興味という目的からも成果を挙げていたと聞く。
 それは、緯度1度がおよそ111km程度に相当すること、またそれを元に、地球全体の外周がおよそ4万km程度であると推測したといわれている。この値は、現在計測されている数値と0.1%程度の誤差だったという。
 その成果が最新の知識として知れ渡るのが、1820年代と想像する。
 その成果を学び、観測することでかなり精度のよい測定値がえられたということになったというつながりがあったのではないかと想像する。
by shingen1948 | 2009-07-23 06:49 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)