飯坂東線②~都市間交通として
2009年 07月 18日
明治末期には、幹線鉄道は、産業と軍事目的のために国有化された。その例外として、産業と軍事目的にしない私鉄の軽便鉄道が認められるという状況だったらしい。
福島の軽便鉄道は、本当は信達地域の生糸輸送線として考えたいのだが、産業目的は認められないので、その目的を遊覧目的として認可を得たということらしい。
そこで考えついたのが飯坂温泉で、「飯坂温泉と結ぶ遊覧」用というのを表向きの目的としてスタートしているという。そのため、まずは基本路線として福島―長岡―飯坂を開通させたということのようだ。
その後、本来の目的である長岡から保原、梁川、掛田、川俣方面に路線を延長したという経緯をたどるということのようなのだ。
これは、伊達橋の歩道だ。
伊達橋と別に掛かっているのだが、元々の橋を転用して歩道にしているらしいことは感じていた。それにしても何とも不思議な形とも思っていた。
最近、これが長岡分岐点から保原に向かう伊達橋の鉄橋を利用しているということを知った。そうだと分かると成程と合点がいくだけでなく、これからも残ってほしいと願う気持ちになる。
改めて横から眺めてみると、鉄橋独特の橋げたであることが分かる。
福島―長岡―保原を結ぶという本来の目的に関わる名残である。廃線後に歩道用に転用したということがよく分かる。
この名残の橋は、各地域の中心市街となっている拠点同士を結ぶ「都市間交通」の象徴の名残という意味を持つ。
全国でも有数の「路面電車で都市間交通網が張り巡らされていた」ということの証だと勝手に思う。