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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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宝積寺と長楽寺③

 今までこの辺りを散策したことと、宝積寺周辺の変遷の中で新たに知り確かめたことを地図の中に整理してみる。
 この辺り、福島城とかかわるのは当然として、それだけではなく、大きく言えば日本の歴史の変動になる切掛けになることが、起きている。
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 戊辰戦争で、東北各藩の連携と西軍とが対峙するきっかけになった世良修三の暗殺とその後の自由民権運動の事件現場はこの辺りだ。
 世良修三の暗殺の現場は、船場の所に①または②としたあたりか。一般的には、①あたりを想像しているようだが、同誌で、竹藪あたりとあったので、②あたりも候補にした。
 地図の中の「尾上座跡」は、芝居小屋跡だが、自由民権運動の演説会場にもなっている。先に散策して、「福島の演説会」として整理したこととかかわる。
 そういう意味でいえば、長楽寺自体も演説会場になっていたようだ。

 地図の中の「紅葉館」・「浅草屋」・「金沢屋」については、それらの事件にかかわった場所や、人々とのかかわりだ。
「康五郎は、客自軒の若旦那」 ・ 『「浅草屋宇一郎の後悔」について再考する』等で整理している。

 「迫駒馬場」については、「豊田町周辺の賑わいの跡」で整理した様に、元々は、本庄繁長が馬乗場として造成したものと伝えられ、馬の競りが行われた所だ。驚きは、ここはもともと国道四号線バイパスの幅の広場があったということで、西裏通りが広げられたという経緯ではないということだ。

 今回の「宝積寺周辺の変遷」に基づいて歩いてみたのは、内堀と外堀の位置関係の確かめだ。イメージ゛がすっきりしたのは、三の丸通り辺りと外堀が二つの寺の間を通るあたり、それに、船場だ。

 ※ 先日整理した「信夫橋9~甚兵衛大火」の県会開催の場所が、今回の整理の中で、次のような事が明らかであることを思い出した。「最初の福島県会開催を確かめる」で整理している。

 福島の県会は、明治6年に常光寺を仮県庁にして、明治10年に模擬県会が行なわれている。そして、明治11年(1878)6月には、県会が開かれている。これは全国に半年近くも先駆けて「県民会規則」を公布して開催された最初の県会で、長井山「西蓮寺」で開かれたらしい。
 県会開催自体については、全国各県の最初の県会開会は翌12年の6月なので、福島県は1年も早く先駆けての開催ということだ。

 三新法、府県会規則による第一回県会も西蓮寺で開かれているとのことだ。
 議題は、旧4号国道の整備だったということのようだ。
 1878年(明治11年)6月1日全国より1年早く先駆けた県議会での県提出議案第1号「国道線築造ニ付議件」伏拝~杉田間の国道建設案に対して住民負担を軽くするための修正案提出など官民一体で協議(於西蓮寺)

 ということで、確定的ではないが、西蓮寺が議場の可能性が高いように思うが、……。
by shingen1948 | 2009-07-14 05:45 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)