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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「文知摺観音」での忘れ物②

 文学に疎いので、芭蕉が、このあたりで詠まれたという句は、「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」だと固定的にとらえていた。
 しかし、この句は福島市内の句碑の中でも微妙に違うらしい。
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 ○ 明治12年に斎藤忍山建立の県庁前公園句碑(曽良氏書留)
   五月乙女にしかた望まんしのぶ摺
 ○ 安洞院(文知摺観音堂別当寺)懐紙
   さなえつかむ手もとや昔しのぶ摺
 ○ 寛政6年 丈左房建立観音堂句碑
   早苗とる手もとや昔しのぶ摺
 寛政6年 丈左房建立観音堂句碑は、観音堂に入って直ぐの高台に建立されているものだ。


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 この観音堂入口の芭蕉像台座に掲げられているのものも、この寛政6年丈左房建立観音堂句碑をもとにしているらしいことがわかる。
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 安洞院懐紙の「さなえつかむ……」の句は、資料館で展示されていた芭蕉真筆として掛け軸になっていたものがそれだったということだ。同種の懐紙の句の中では最優秀なもので、道中書きの特徴がよく出ているといわれているらしい。


 県庁前公園句碑は、後日確認してみたい。

 俳句という表現は、よく分からないが、完成したものは固定して動かぬものと思っていた。
 しかし、推敲を重ねる過程でいろいろに変化していくものという。これは、専門とされる方にとっては常識の範囲らしい。
 芭蕉の「おくのほそ道」が完成していく経過は大雑把には、次のような経過とのことだが、ここにも揺らぎは派生するらしい。

 元禄 2年(1689) 東北など行脚
 元禄 7年(1694)「おくのほそ道」能筆の弟子素龍が浄書する。この年松尾芭蕉没
 元禄15年(1702)素龍に浄書させた「おくのほそ道」(西村本)をもとに去来が京都・井筒屋より版本を作り出版刊行される。

 よく分からないので、あちこち検索していたら、神奈川大学シラバス俳諧研究の授業案内にこのことにかかわって、面白い授業案内がヒットした。
 「広く流布しているのは、能筆の弟子素龍浄書の「西村本」とのことで、1996年秋に、芭蕉自筆の「おくのほそ道」が確認された」と紹介し、「これを比べると、74か所に違いがある」と紹介していた。
 これは芭蕉の構想、推敲の物凄さを示すもので、芭蕉の表現完成への執念が注目されているようだ。

 浄書から出版にかけての複雑なシステムからも微妙な違いが生じるとも聞く。
 本文は同じでも、モノとして異なる版本が幾つも存在し得ること、板木の磨耗により文字のかすれた本、出版元の変更などで奥付の異なる本等々がある。板株を持ってないのにこっそり出版された本もある。
 このうち、板木が磨耗しても、改修されても、覆刻されてもこれは、どれもがオリジナルであるとみなすらしい。
 したがって、本体の「おくのほそ道」自体もいろいろの揺らぎがあるらしい。
by shingen1948 | 2009-06-20 06:10 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)