地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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旧阿武隈川河床蛇行の実感②

 芭蕉の奥の細道時代の武隈川が、東側の山沿いを流れていたらしいということを聞いてもなかなか実感できなかったのだが、旧阿武隈川河床蛇行を見て、イメージが膨らむ。散歩する中で、得たことを整理すると次のようなことだ。
 ①  当時の月の輪渡し碑があるあたりが、月の輪の渡しであるらしいこと。
 ②  向瀬上愛宕社の山が箱石難であり、阿武隈川の流れは、この岩場の先を回ること。
 ③  この箱石の所に箱崎渡しがあって、それが瀬の上の渡しの原型であること。
 ④  箱崎渡しから現在碑が建っている瀬上渡しまでは800mで、ここの渡しは最近まで残っていたこと。

 これらのことを考慮して当時の阿武隈川の流れをイメージすれば、胡桃川の流れに近い道筋が想像でき、渡しの位置、街道筋はおよそ、このような感じではなかったかと思うのだ。
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 ただ、箱石難の位置はちょっとずれてしまった。もうちょっと先の村堺のあたりのイメージだ。
 「箱崎渡し」のプロットは、今の「瀬上の渡し碑」の説明による。800m先の箱石難のところに箱崎渡しがあったとあるが、渡った先は瀬上宿のはずなので、摺上川との合流地点の南岸のほうにプロットしてみた。


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 なお、「箱崎」の地名が、この「箱石難」に由来しているのではないかという話を聞いていたが、瀬上という地名も、この「箱石難」の瀬の上ということらしいことが、この案内板にある。
 近くの方々にとっては、この箱石が象徴的な場所であり、ここに愛宕社を祀り、村をお守りいただこうと思ったのであろうと勝手に想像する。

 「箱崎渡し」から先は、「伊達町指定文化財」による阿武の松原碑の解説のイメージを重ねてみた。
 解説によると、阿武隈川は、箱石難を回り込んだ後、一度東に向って蛇行して流れていたということらしい。そして、この川の南岸に相馬へ向かう古い街道があって、その街道に沿って東西に長い松原になっていたというのだ。これが、景勝に富み、わが国三松原の一つとされていたという。
 この阿武の松原を多くの歌人が詠っていて、特に歌碑にある藤原実長の歌が有名ということだった。


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 実は、この「阿武の松原碑」、何日間か探したがみつかっていない。心残りではあるが、とりあえず、このあたりが景勝に富んだ「阿武の松原」だったらしいことを想像しておくことにする。

 なお、この阿武の松原碑は、箱崎字原町にあって、原町町内会が管理しているとのことで、昭和56年2月18日に町の文化財に指定されているという。
 この碑では、金葉集(1127)に、「みちのくの思いしのぶにありながらこころにかかるあぶの松原」(みちのくの信夫にいるあなたへの思いを耐え忍んでおる私ですが、あなたと会う約束をしたあの阿武の松原が気になってしかたありません。)<太宰太弐長実>と詠まれていることを紹介しているとのことだ。
Commented by TUKA at 2010-02-03 19:56 x
先日の上保原道路元標の元位置に関連しまして、
渡船場について調べていたらこのエントリを見つけましたので、書き込ませて頂きます。

江戸時代、福島~保原の主要路は瀬上から東に進み、
川を渡って愛宕山の麓に出るルートだったそうです。
ここが箱石舟場で、明治25年には舟橋が架けられました。

しかし伊達街道(現国道399号)の整備が進むとこちらの比重があがり、
阿武隈川には伊達中央橋が架けられます。
ここが箱崎舟場で、現在伊達橋があるところです。
伊達中央橋は賃橋で、経営者は、「飯坂東線④~伊達橋騒動②」
http://kazenoshin.exblog.jp/8666000
にあるO氏でした。
この碑を建てたのはO氏に協力したK氏のご子息で、
伊達橋騒動の時は少年でしたが、後に「伊達鉄橋騒擾史」を書いてます。

この木橋を信達軌道が走り、流出、伊達橋騒動、2鉄橋の架設、
というその後の流れはご存知の通りです。

この図にあります「箱崎渡し」は「箱石渡し」ではないでしょうか。
Commented by shingen1948 at 2010-02-04 05:13
情報ありがとうございます。
その方が、すっきりします。この箱石の上の愛宕神社は、「向瀬上」のイメージで、「箱崎」の愛宕神社がその先です。この渡しは、所属感としては向瀬上ですよね。「箱崎村の渡し」というよりは、「箱石という地の渡し」ということですっきりです。
 
 箱崎―高子―保原という線の太さは、散歩していて感じますね。
古くは、伊達氏の高子舘から梁川城へ。近くは、熊坂氏の保原から高子舘への移住。そして、昔の保原の様子をさぐる絵地図は東保原を参考にという具合のようです。
この福島~保原の主要路の変更には、松齢橋架設による主要路線の変更など福島周辺側の事情もかかわっているようにも感じています。
今は、その延長線上の愛宕と阿武隈高地の間の高子越えの道が主要路線でしょうか。
by shingen1948 | 2009-06-18 06:24 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(2)