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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

長岡山王様

 寛延三義民の顕彰碑の供養碑のある観音堂から奥州街道沿いに進むと山王通り商店街の通りになる。
 明治の維新政府が嫌った山王様が、この辺りでは人々の心に根付いて生き延びていることに感心する。しかも、2社もある。そういえば、一揆の話にも山王様のお告げの話が出てきたなと思い出す。
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 観音堂にも道しるべがあって、二つの山王様、熱田神社と八雲神社の方向を示していた。
 奥州街道を進みながら、三王様を確かめることにしたのだが、……。


 一度通り過ぎてしまって、戻り際に八雲神社の方の三王様は見つけた。
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 こちらの三王様は、この辺りでは長岡の天王様として有名で、ここの祭は養蚕の盛んな時代には生糸市としても全国的な賑わいを見せたという。
 この祭は、熱田神社と八雲神社のご神体をひとつに合わせることから「嫁入り祭」とも呼ばれて、県の十大祭のひとつに数えられているとのことだ。
 この祭りまだ見ていないが、賑わいの様子は「ふくしま散歩」(小林金次郎著)に詳しい。
 伊達町の「イチ押しぶっさん」にある天王桶とまさるの伝説とかかわって伝統を楽しんでいるようだ。祭りの開催日は7月24・25日に決まっているらしい。


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 ここ長岡は、江戸時代の中心地でもあり、福島、飯坂、桑折、川俣を結ぶ交通の要点で、農産物やまゆの集散地とて主要な地点である。
 近年は、軽便鉄道長岡分岐点のあった所だ。
 そんなこととも関係するのだろうか、長岡の町を進んでいくと立派な門構えの家がいくつか目につく。


 熱田神社の山王様は、なかなか見つからなかった。
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 もう一度観音堂に戻って、その道しるべの矢印の方向に向かってようやくたどり着いた。


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 この時に、先に整理したように、この隣の金秀院で六角石に出会ったのだ。


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 後で分かったのは、駅前通りと交わるあたりまで行ったのに、近くの岡陣屋跡を確かめるのを逃していたこと。
 岡陣屋は元禄14年(1701)から寛延2年(1749)までの49年間の代官所で、宝永7年(1710)には信達93か村を治めたという。
 陣屋のあった場所は、現在稲荷神社があるとのことだ。昔、周囲は堀、西には土塁を築いた跡がみられ、東側は崖をなしているという。

 今度、また歩き直そうと思う。
Commented by 「大」@安達太良山麓 at 2009-06-08 11:45 x
この付近は神社が沢山ありますから、昔から信仰のあつい地域なのでしょうか。
国境に近い場所ですから、戦国以前から戦火に苛まれた場所だからでしょうか。
Commented by shingen1948 at 2009-06-08 21:04
 元々の日本に親しまれていた「かみ」様が生かされている感じがしました。系統的には、大玉の八坂神社の系列のようです。あそこも住所からすると、山王様のような気がしました。
 地元でない者が言うべきでないとは思いますが、国の宗教政策に従って、品行よく牛頭信仰などの習合部分を改めたのではないのかなと思っています。
 山の神講など形が残っていて、話を聞くと意識の根底には同じような心情を感じていました。
 当たり前すぎて意識していないだけだと思います。
by shingen1948 | 2009-06-08 06:24 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(2)