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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信達大一揆② 義民を訪ねる

  奥州街道の瀬上宿を過ぎ、摺上川を渡ると、伊達町に入る。
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 ここは何度か通っているが、自分にとっては通過点であり、散策の機会が少なかった。義民斎藤彦内の墓を見逃したことを理由にして、自転車で町内を散策してみることにした。


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 伊達町に入って直ぐに、右手の道に入ると西念塚があった。
 案内板の説明によると、この塚は、摺上川の堤防を築く時に人柱となって捨身入定した西念上人の供養塚とのことだ。弟子浄心の文書と大ケヤキも合わせて伊達町の指定史跡になっているとのこと。
摺上川も暴れ川だったらしく、毎年氾濫して、村民は困窮を極めたとのことで、古のこの村の堤防構築が悲願だったことが伺える。


伊達町の指定史跡
西念塚
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 当時の摺上川は、毎年氾濫し、部落民は困窮を極めた。度重なる洪水から里人を救うため、寛文8年(1668)4月8日、自らが堤防の人柱となって洪水をくいとめようと捨身入定した西念上人の碑が、この西念塚である。また弟子浄心が残した文書及び大ケヤキをも合わせて、町文化財として一括指定している。
 大ケヤキは、幹の太さ等から樹齢約300年といわれ、供養のために里人達によって植えられたものと思われる。昭和58年3月には、県の緑の文化財として登録された。



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 整備をしようとしているらしく、現在観音堂も含め工事中だった。


 奥州街道に戻り、北に向かうと直ぐに、先日立ち寄った福源寺への道が左手に見えるが、そのまま進む。寛延三義民の顕彰碑の供養碑がこの道沿いにあるらしいので、それを確かめたかった。
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 その碑は街道が右にカーブするところにある観音堂の境内にあった。
「うつくしま電子辞典」によるとこの碑は、大正7年(1918)、天狗廻状映画化により、長岡村中心の有志の人々が献立したとのことだ。

 また、「民友ネット」の「福島の舞台」によると、この「天狗廻状騒動」は、明治時代に「天狗廻状」という名で新聞小説になり、その映画化で、日本全国の人々の血を沸かせたという。
by shingen1948 | 2009-06-07 06:17 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)