地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28

斉川宿 ⑤

a0087378_4562441.jpg
 斎川橋を渡ると、いよいよ斉川宿場に入る。


a0087378_458215.jpg
 芭蕉の頃は、宿は350軒の家並みだったと聞く。


a0087378_511595.jpg
 その面影は、斎川検断屋敷に残る。


a0087378_525745.jpg
 検断は、仙台藩では町場に置かれ、伝馬、人足を取り仕切ったり、大名の休息、宿泊の場所としても使用されたとのことだ。
 ここ斎川は、島貫家が検断を務めた。幕末には肝入りも兼任していたという。


a0087378_541347.jpg
 島貫家といえば瀬上宿にはいったばかりの場所に陣取っていた広壮な屋敷を思い出すが、関連するのだろうか……。
 今は、塀の板壁も痛んで廃屋にちかい状態になっている。


a0087378_574175.jpg
 庭に明治天皇御休息所・御膳水所」の碑をみる。


 このあたりの芭蕉の実際の行程と、イメージや奥の細道の作品にずれがあるので、そのあたりを整理しておく。
a0087378_591673.jpg
 作品では、大木戸を過ぎて前章の飯坂が終わり、鐙摺、白石を越えて岩沼の章がはじまる。つまり斎川宿あたりが切れ目になる。

 実際の行程は、「随行日記」によると、飯塚(飯坂)を出立した日は、大木戸を越え、斎川宿に入り、甲冑堂に立ち寄って、ここから白石城下まで5kmばかり歩いて寺屋敷前の旅宿あたりに宿泊したらしいと推定されているようだ。

 この日のできごとの一つが、越河番所から仙台藩領に入り、県境をこえたことだ。
 藩境の警備と往来する人馬、荷駄を監視するため仙台藩から役人がここに派遣されていた。

 仙台藩に入って後だが、作品では、直ぐに笠嶋の郡に入って藤中将実方の塚を探す。
 しかし、実際の行程は、白石に泊まった後、岩沼にはいって、竹駒明神の別当寺(竹駒寺)の後に武隈の松を見て、それから名取に向かう。
 笠島は、岩沼と増田の間、左の方一里ばかりに有るとの情報と箕輪と笠島の村が並んで有るとの情報を頼りに探しだか、行き過ぎて見ることができなかったということのようである。

 文学作品は、伏線をどう読むかで楽しみが変わる。
 大木戸は、芭蕉の最大の不連続意識とみれば、この辺りの真の東北に入る場は重要であり、その前触れは、「月の輪の渡し」で、川による不連続を初めて表現する。県の北部だけでも五百川から、ここまでに多くの渡しを渡るたびに、陸奥に入っていくことは感じが深まっていたはずだ。
 その最大の不連続地点がこのあたりなのではなかったかと勝手に思う。
Commented by 「大」@安達太良山麓 at 2009-06-05 09:15 x
斎川って、昔は賑やかな宿場だったのですネ。
徒歩だった昔は、国見峠を越えて越河を過ぎると斎川になり、眼前に白石が見えてきてホッとした場所なのかなぁ~と思ったりしています。
この付近は歴史的に要所がたくさんあるのでしょうけど、歴史の檜舞台には出てこないのが残念です。
Commented by shingen1948 at 2009-06-08 19:05
 東北の玄関口として、一般的にぱっと思いつくのは白河ですが、本当に超えたという実感を伴なう境界は国見峠だろうなと思います。
 おっしゃる通り、本当に超えたという実感が伴っていたと思います。
 宿泊は越河と白石で、ここは通過点だったような感じがします。
 
 
by shingen1948 | 2009-06-04 05:22 | Comments(2)