地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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斉川宿②

 旧国道四号の道筋に入ると、右手に「鐙摺」の遺跡が見えてくる。奥の細道では、「鐙摺・白石の城を過ぎて、笠島郡に入ったので、藤中将実方の塚はどのあたりだろうと人に尋ねてみる」と、笠島郡に入る辺りで、通り過ぎた個所として登場する。
 5月3日(新暦6月19日)通過、白石泊で、翌5月4日(新暦6月20日)のできごとだ。
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 「馬牛沼」にあった案内板の説明では、「鐙摺り石(別称あぶみこわし)の難所であり、奥州街道最大の難所であった。遠く源義経が鐙を摺ったといわれる。」と紹介されている。
 「鐙摺=源義経が鐙を摺ったという言い伝えのイメージ」は、古の人々にとっては誰しもがしっている常識なのだろうと思う。


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 「鐙摺り坂」の崖斜面に石碑が並び、その中に「孫太郎虫供養塔」がある。
 孫太郎虫はヘビトンボの幼虫のことで、乾燥させた孫太郎虫は子供の「かんの虫」の薬として売られた斎川の名物とのことだ。


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 ヘビトンボの幼虫は、水質調査でよく見かける。これは、安達太良川上流で見つけたものだが、グロテスクな図体だ。確かに食料にされたと話は聞いていた。
 東和あたりで別称「ががんぼ」だったと思うが。
 各家庭での料理と思っていたら、ここでは名物として売られていたということのようだ。確認すると「かんの虫」の薬というのは全国共通のようだ。
 そういえば、馬牛館のところの食堂には、「斎川孫太郎餅」と大きく書かれた看板が掲げられていた。
 この水生生物は、水質調査では比較的きれいな水に生息する指標になっている。この斎川が豊かな水が確保されていた証しということになる。
 先に見た馬牛沼の鯉の養殖は、この豊富な水だけではなく、水質が安定した中で豊かな水生生物の存在を意図されたものであろうことが分かる。


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 これは、ここから先の防砂堤の上から撮った斎川の様子だが、この斎川は、地名ともなり、宿の呼称に掲げられるとともに、鯉の養殖の池となること等、この水がこの地の大きな役割を担っていることが分かる。


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 宿場の方にも水が分水されている。
 ここに住む人々にとって、恐らくこの水も名物孫太郎もここにあるのが当然のものであって、そのありがたさを感じることなく暮らしてきたのではないだろうか。豊な水のありがたさを感じてきたのは鯉の養殖の池の話が持ち上がる頃なのではないだろうかなどと勝手に想像する。


 「鐙摺り坂」のカーブを曲がり切ると、右手カーブ内側に田村神社、甲冑堂が見えてくる。
by shingen1948 | 2009-06-01 05:54 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)