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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「阿津賀志山防塁」現地説明会 ⑤

 今回説明いただいたことは、散歩人にとっては、次の2点について整理しなおす必要があるということだ。
 ① ここを当時の幹線道が通っていたということ
 ② 藤原方がつくった防御施設で、天下分け目の主戦場だったこと。
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 多分、今までの有力な考えは、東山道は阿津賀志山の山際を通っていたということだったと思う。それが、長坂に続き、国見峠である経ケ岡に続くというようなイメージだったと思う。
 具体的には、国見町郷土史研究会の「郷土の研究」の地図にある古代東山道という道筋と近世奥州街道とある道筋と今回の幹線道とのかかわりとつながりだ。
 この幹線道がどれとかかわるのか、または、かかわらないのか。そして、それは長坂に続くのか、続かないのかということだ。


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 そういう意味で、第2の発掘地点からのこの道の道筋が気になる。そのまま長坂に向かうのか。それとも、この右手の高台を回り込もうとしているのか。


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 また、ここが藤原方がつくった防御施設で、天下分け目の主戦場だった場合、藤原方の本営をどこに置くか気になる。この高台も主要な司令部の一つの候補になるのだろうか。その場合の今まで想定は、そのまま生きるのか、気になるところだが、……。

 これらは、10月までお預けということらしい。
by shingen1948 | 2009-05-29 05:58 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)