地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「阿津賀志山防塁」現地説明会②

 国見町教育委員会の文化財専門員の方が、今回の調査について解説してくださった。
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 まず、今年度の調査が、昨年度の成果に続くことから、昨年度の木戸口の調査地点について図示して説明された。

 簡単に概括すれば、この地点の防塁が切れていて、土橋がかかっていたということだ。

 防塁が切れていていたことは、昨年度明治時代の古地図から、その地点を発掘すると、塞いだ石垣が見つかったことで確認したようだ。
 土橋がかかっていたということは、その両脇から堀が掘られていて、約3mの幅で、土橋の存在が確認できたということだった。


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 これは、現在の状況だ。
 今回の発掘地点は、その土塁が切られ裏側にあたる地点だ。


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 この写真の右側が、土塁が切られた方向だ。
 その木戸口からきた道がどのような状況なのかを明らかにすることらしい。
 入ってきた道は、ここで左にカーブして進む。


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 更には、その道の続きがどうなるかということで、道が続くと思われる西側をもう一ケ所掘っていた。


 新聞の報道記事は、要点を押さえた表現がいい。検索のキーワードを入れて検索したら、いくつかの記事が読めたので追加しておく。
 河北新報の記事は、今回の調査目的や経緯の概括が整理される。

 読売新聞の記事は、今回の調査の成果についての意義を整理されている。
by shingen1948 | 2009-05-26 05:56 | ◎ 奥州侵略の路 | Comments(0)