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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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北矢野目城⑤~板東墓地

 「ふるさと矢野目の伝承」の中の北矢野目城館主の福地帯刀の墓碑といわれている板碑があるという情報があった。それに、もう一つ中世の来迎三尊宝塔板碑があるということで、板東墓地に立ち寄った。
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 入口には、「墓地整地記念碑」があって、時代の変遷によって整地したことを説明されている。
 その中で、北矢野目城跡とその城主福地帯刀と、その家臣福島氏・阿部氏と矢野目堰の北矢野目村の世話人福地氏と久間木氏が紹介されている。


  「墓地整地記念碑」
 天正乃昔、伊達家乃家臣矢野目城主福地帯刀此乃地を統括せり神社の北側に周囲約110間四方城跡今も有り、慶安3年5月22日此の地に望名其家臣福島道鑑阿部掃部なる者土着し農に励み又其乃後も天保14年間新堰世話人福地源右エ門、九間木久右エ門なる人等共に此の地に永眠せられたり明治の頃より共同墓地と定め使用せしも火葬の時代に変わり整地の必要を認め一同の同意を得て昭和48年2月着工同年3月21日完成せるものなり各霊の安らかに冥福を念じつつ竣工を記念し後世に記すべく此の碑建立せしものなり
 昭和54年8月館念仏講一同



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 中世の来迎三尊宝塔板碑と福地帯刀の墓碑といわれている板碑は隣り合って建っていた。
 下鳥渡の陽泉寺の国史跡指定の三尊碑は、正嘉2年(1258)の造作とのことで、同じころに造られたと推定しているようだ。
 陽泉寺の三尊碑の案内板にも、確かにあちこちの墓地などで見られるとあったなと思いだす。


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 福地帯刀の墓碑と言い伝えのある板碑、その脇の五輪塔は由緒がありそうだが、あいまいなことも多いとのことだ。


 ※ 養福院と真淨院のかかわりについて、「ふるさと矢野目の伝承」で、柳町の真淨院住職の隠居寺であったという古老の言伝えが紹介されていたが、養福院は真淨院に併合されたといういいかたをされているものもみつけた。
by shingen1948 | 2009-05-24 05:34 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)