地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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真鍋嘉一郎と、ラジウムと⑥野口英世と……。

 真鍋嘉一郎氏と福島県人との交流で有名なのは、医療関係者が多いようだ。星製薬社長の星一氏を放逐する策動のため、精神病であると診断するよう依頼されたが、拒絶したというようなエピソードも見つけたが、有名なのは野口英世氏との交流のようだ。
 この交流は、結果的に野口英世氏が権威づけられることに一役かっていると思われる。
 福島民友ネットでは、野口英世の交流の広さを紹介する中の一人として、野口英世氏が万国医学会長と面会する橋渡し役として以下のように紹介している。
 英世のヨーロッパでの講演途中、ミュンヘン大学総長のフリードリッヒ・ミュラーが英世に会う時の橋渡し役として、真鍋嘉一郎が英世のホテルを訪ねてきたことを紹介している。英世にとっては、英世が尊敬する万国医学会長が来たいとのことだったので、小躍りして喜んで、まだワイシャツとズボン下のままだったが、我を忘れて真鍋を招き入れた。

 真鍋が、英世を尊敬し続けたのは、こういった学者としての正直な心に打たれとしていた。

 18.11.30東大病院たより№55では、真鍋嘉一郎の立場から出会いを紹介している。野口英世氏とのかかわりだけを抜き出すと、以下のようなことのようだ。
 真鍋嘉一郎は、明治44年に3年間ドイツ留学する。理学的療法研究がレントゲン線とラジウムの発見によって発展が見込まれたためとのことだ。
 その留学中の学会で、野口英世と偶然に出会って親しくなっている。
 大正3年に留学から帰国の途中、米国へ立ち寄り、ロックフェラー研究所の野口英世を訪ねているらしい。
 翌大正4年に野口英世が16年ぶりに帰国した時には、横浜まで迎えに出ている。
 そして、上司であった青山教授にお願いして東京帝大での講演会を開催したとのことだ。
 野口英世はその講演を振り返り、「東京帝大の講演は身に余る光栄」と述べたという。

 英世氏にとっての真鍋嘉一郎氏は、学歴や権威にコンプレックスを取り除いてくれる存在ではなかったかと思う。
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 飯坂駅前の記念碑は、自分にはラジウム卵にしか見えないのだが、温泉が医療とかかわる象徴として、幸せな健康生活の願いをこめた記念碑とみるべきだったということのようだ。
by shingen1948 | 2009-05-15 05:56 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)