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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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北矢野目城を探る

 北矢野目城は、何度か出かけてみたが、なかなかイメージがつかめなかった。
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 住所を確かめて、地図と見比べると、こちらの方面が北矢野目舘集落の方面だが、漠然としていた。


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 探すのに基準となりそうな雲神社があったので、ここから舘の住所に向かってあちこち歩いてみた。


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 この辺り、舘とのかかわりそうな雰囲気があったので、とりあえず撮っておいた。


 図書館で、「ふる里矢野目の歴史と伝承」(久間木忠雄著)を見ていたら、北矢野目村館図があって、推定図が載っていた。
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 この図をもとに、もう一度歩いてみようと思った。
 とりあえず、今までの散歩して感じたこととこの地図を照らし合わせてみる。
 気になったあたりが北門を想定している辺りで、その道に今は蓋がされている水路が塀のラインで、これが内堀を推定しているらしい。
 北矢野目舘集落の方面に見た集落の宅地にそったラインに水路が走っているらしく、そのラインが、外堀のラインと想像しているようだ。
 北矢野目城の概要は、おおよそ以下のようにとらえているようだ。

 城郭が四方110間、およそ4000坪内外あり規模が大きいことと、二重掘りということで城としている。しかし、戦国期の信夫の地頭領主は、屋敷、郷村の総領職権、惣成敗権を有し、大がかりな堀や土塁をめぐらせた館を構えているということがあるので、舘の可能性もあると推定しているようだ。
 創設は、平泉藤原氏以前には存在しないので、早くて鎌倉時代だろうが、信達一統誌には、天正年間(1873~1591)伊達氏(あるいは蒲生氏)の家臣福地帯刀が住んでいたとあるので、もっと遅い可能性もあるとみている。
 この城に関わって現存する資料としては、製作年代不明の村絵図と水路と地割があり、それに、住居は変わったが福地家とのことだ。

 具体的なイメージがつかめるヒントをいただいたので、もう一度でかけ直してみることにした。
by shingen1948 | 2009-05-10 05:35 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)